色々なコトを調べているのですね。しかし3月1日。よりによって、俺の誕生日ですよ。自分も強い自殺願望の持ち主でしたから、何だか他人事には思えず、流石に自分の誕生日にワザワザ死を選ぶ人間もそんなに多くはないでしょうし、誕生日に救われたのかな、とも思いました。確かに俺の場合も、強く自殺念慮が表れるのは、これから暖かくなる今頃の季節だったような気がします。
一方で、最も少ない日が12月30日なのは何を表しているのでしょうか。大晦日ではない。やはり何か区切りを付けたくて、ソコまで生きたら翌日の大晦日を選ぶ、とか。何となく、自殺はそれ程計画的なモノではなく、もっと突発的で、勢いに乗った行動であるような気もするのだけれど。コレらのデータが今後、どのように活かされるかは分かりませんが、少しでも自殺予防に繋がるコトを望みます。
現在は、9月10日が世界自殺予防デーとされています。日本でも、その日からの一週間が自殺予防週間。何故9月10日なのかと問われれば、「世界自殺防止会議」が2003年のソノ日に開催されたから、と言う単純な理由だけで、その日に特別自殺者が増えるとか、そのようなコトとは無関係ですし、コレを機に日本では3月1日前後に自殺予防週間を設けてみてはどうでしょう。とりあえずの気休めにしても。
季節的なモノと精神的なモノとは何か密接に繋がっているようで、しかしながら具体的にどんな関係なのかが良く見えて来ません。「春先には変な人が増える」などと言いますが、暖かくなると、精神的な変化が起こり易いのでしょうか。寒く長い冬が終わり、どんどん暖かくなる時期で、春の花が咲いたり蝶が飛んだり、景色も鮮やかになりますし、寧ろ調子が良くなりそうな印象すら受けるのに。
もっとも、4月になると大きく生活が変わる方が多く、そういったコトに対する不安も、人を死に駆り立てる要因になるのだと思います。俺は未来に対する懸念より、イジメられていたりして、とにかく当時の『今現在』が嫌で嫌で仕方なかったから、進級進学があると「やっと終わる」と逆に嬉しかったものです。でも、そう言った時に「来年も同じ状況だったらどうしよう…」と考えると、強い不安が襲って来る。
一方的にネガティブな時よりも、希望と絶望が入り交じる不安定な状態の方が、危険なのかも知れません。考えてみれば、ネガティブマックスでドスンと落ち込んでいる場合には、死に対する魅力すら失うコトがありました。自殺って「死んだら楽になる」とか、ある意味で前向きと言えば前向きじゃないですか。「今の状態から何とか脱したい」と言う、とても強い気持ちはあるワケですから。
景気も悪く、先行き不透明なコトが多い今の世で、かく言う俺も、副業で僅かながらに収入はあっても無職であることに変わりはないし、治らない病気で体まで壊してしまって、自殺念慮と言うには程遠いものの、生に魅力も感じていません。こんな言い方は乱暴かも知れないけれど、精神的な理由にせよ安楽死できるシステムがあっても良いのになって、たまに思うんです。悪い考え方ですかね…。
勿論、ソレが鬱病であるとか、治療可能なココロの病に由来するモノであったり、一時的な気の迷いであったりすれば、全力で止めるべきだと思います。ただ、もう完全に切羽詰まってしまって、国からしても、もう助けようがない場合もあるでしょうし、そういった場合に限っては…。毎年多くの方が自ら命を絶つ今の日本の現状を考えると、一度時間を掛けてちゃんと議論してみても良い気がするのです。