かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2017年01月

優しさと同情は違いますよね。

俺が好きな物を好きなだけ食べられなくなってしまってから、どれぐらいの月日が経ったでしょう。

人工透析に頼る以前、減量を開始した頃からで、もうそれがどのくらい以前のことであったか、忘れてしまいました。

様々な目新しい食品や飲料を目にすることもあります。

それらを店頭で目にすることはあっても、それらが俺のクチに入ることは滅多にありません。

特に最近は変わった食べ物が多くありますね。そんな気がするだけかな?

チョコレート味のインスタント焼きそばであるとか、抹茶風味のカップヌードルであるとか。

そこまで奇抜な食品でなくとも、何語だか、外国語の小難しい(洒落た)名前が付けられた、味の想像も付かないような甘い物(恐らく)を、コンビニエンスストアのデザートコーナーで見掛けることもあります。

「コンビニで変わったデザートを見たよ。外国語の名前が付いてるんだけど、真っ白い大福餅みたいなの。どんな食べ物なのかな?」

「白くて丸いの?」

「そう。そんなの」

「それなら食べたよ。あれはレアチーズケーキみたいな味だよ」

「中はスポンジ?」

「違う。中もレアチーズケーキみたいな、ムースみたいな」

「プリンみたいな物でもないんだ?」

「うん。つるんとはしてない。やっぱりムースみたいな舌触り」

「そうなんだ!」

(上の会話はあくまで例です。そんな食べ物が実在するかどうかは不明です)

元々が食い道楽で、自分で一通りの調理も致しますから、大体の材料や食感の具合を教えて頂ければ、どのような食べ物なのか、おおよその察しは付きます。

「○×屋の新しい牛丼って普通の牛丼と何が違うんだろう?」

「普通の牛丼の具の他に焼き豆腐と長ネギが一緒に煮込んであるみたいだったよ。それで普通の牛丼よりちょっとだけ甘いんだ」

「そうなんだ!(…だとするとすき焼き丼っぽい感じだな…)」

(これも例です)

と。

ただ、結論として美味しかったのか余り美味しくなかったのかは個人の主観や好みが入って参りますし、難しいトコロです。

「で、それ、美味しいの?」

「…いや…別に…普通」

何となく気を遣っているような気配。

「うん!アレは最高に美味いよ!絶対に食べてみるべきだね!食べないと損だよ!」

病から自分の好きに食べられない者に対し、そのような表現を用いることに、気が引けているのかも知れません。だから、何となく含みのある、持って回った言い方をする。

「まぁ…美味いっちゃあ美味いんだけどね。一回食べたらもう良いかな〜みたいな」

「何てこともない味だったよ」

俺の場合、週に三度の食事しかしないという無茶は自ら選んだ手段ですし、いくら人工透析患者とあっても、"絶対に"食べちゃ駄目な物はございません。食べる気になれば、激辛ラーメンだろうが巨大チョコレートパフェだろうが、食べられないことは決してないのです。

従って、そんな気を遣うこともないのになぁと思う一方で、例えば全く目の見えない方に

「夜の都会ってどんな景色?」

と訊かれた場合、やはり

「とても綺麗だよ。高い建物がたくさんあって、それらがどれもキラキラ光ってる」

とは素直に答えないのではないか?と考えたりする自分もおりまして。

「キラキラ光ってる…けど別に…何かゴチャゴチャしているし、チカチカしていて、ちょっと品がないよ」

どこかにある

『こんなもの見えたってどうってこともないよ』

的なニュアンス。

そう考えると、俺の方から「それって美味しかった?」とか、「あれってどんな味なの?」と尋ねるのは、人に気を遣わせてしまうような行為なのでしょうか。

単に興味で訊いているだけなので、最高に美味しかったなら最高に美味しかったと、素直に答えて下されば良いのにな。

それでもやっぱり食べられない人間に対して…となると、ちょっと酷な気がしてしまうのでしょうね。

優しさとは、難しいことでございます。

無駄の骨頂。

何となく体調は戻りました。

体調不良の原因に心当たりはなくはなく、

つまるトコロは

空腹

でしょう(笑)

昨日も飲まず食わずでけっこう歩きましたから…(^_^;;

『無理しないで食べなよ。食べなきゃ駄目だよ』

とは自分でも思うのだけれど、そこは

自らに課したルールは意地でも曲げない

(病的に)バランスの悪いトコロ、その時になってみなければ分かりませんが、もしかすると栄養失調となるような直前でも自分で食べないと決めたタイミングでは何も食べ物らしい食べ物をクチにしないのではないかと思ってしまう程です。

とはいえ、しなくてはならない仕事があり、ボーッとしたままというのも困ってしまいますから、とりあえずブドウ糖だけは摂取しました。これだけでもだいぶ違います。

強い喉の渇きだけは如何ともし難い部分があるのだけれども。

この

自らに課したルールは意地でも曲げない

ってのも、例えば

何としてでも毎月100万円は稼ぐ!

とか、

年間で3作は小説(趣味で書いております)を書き上げる!

とか、

もっと、こう、何か自分のタメになるような事柄だったら良いのに、その辺は実にイイカゲンで、よりによって

血液透析の直前にしか食事をしない!

とか、

部屋の掃除は欠かさず毎日する!

とか、

別にドーデモイイことばかりがマメで…(+_+)

具合が悪くなってフラフラになるぐらいにまで食べることは我慢できるのだから、この根性(?)を仕事の方に活かせれば良さそうなものなのにね(^_^;;

そう上手くは回らんかぁ…(+_+)

取り急ぎ。

今日は予定通りにお仕事でした。

これがまたタイミング悪く、今日に限って俺の方が体調を崩してしまい、どうせお休みになるなら今日が良かったな、と…。(お客さんからお金を頂戴している立場の人間が言うことではありませんね。ごめんなさい)

インフルエンザや風邪の類ではないと思うのですが、どうも気持ちが悪くて。

軽く貧血気味なのかなぁ…。(人工透析を受けていたりする(腎臓を悪くしている)と貧血になりやすいそうです)

立っていられず、座ってもいられず、できれば横になりたいような状態のまま、何とか一日、頑張りました。

今に至るもヘトヘトです(+_+)

今回の記事に関しても、横になってスマホ(『iPhone5(無印)』)から書こうとと思っていたものの、よりによってiOSのアップデートが始まっちまいまして。(もっとも「アップデートがあるよ」のお知らせに対し、「じゃ、頼むわ」とやってしまったのは俺なのだが…)

OSのアップデート中でも何とか動いてくれるWindowsシリーズと互い、iOSのアップデートは端末が一時的に(アップデートが終わるまで)操作不能状態になるんですよ。

そんなワケで、現在はヘロヘロのままパソコンの前におります。

外出して来ましたし、明日は血液透析があり入浴ができない(血液透析当日(の血液透析後)は原則として入浴不可)為、できることならお風呂に入りたいのだけれど、今の体調でお風呂に入ることは大袈裟な表現でなく生命の危機に陥る可能性があるような…。

少し横になってお休みさせて頂いた上、目覚めた時の具合で判断したいと存じます。

まずは急拵えの記事となってしまい、申し訳ありませんでした。

ご勘弁を。

嫌な予感がするそうな。

今日は第一の副業があったハズなのですが、パートナーの気まぐれで、お休みになってしまいました。

たま〜にあるんですよ。原因不明かつ謎の臨時休業。

パートナーはお客さんを探して来たり、俺とお客さんの間に立って、スケジュールを組んだりするだけのお仕事ですし、仕事の当日に体調が悪くなったとしても、全てをキャンセルする必要は全くありません。

少なくともパートナーに関しては、実際の仕事が行われる当日、仮に家で寝ていたとしても問題はないワケです。業務自体は俺とお客さんさえあれば成立してしまうので。(当日までに具体的な(お客さんのお名前やお会いする時間、場所が書かれている)予定表は頂いております)

おかげさまでお客さんは少なからずあり、もう来月の予約すら埋まりつつある状況ですから、今後のスケジュール調整(せっかくご予約頂いたのに、キャンセルされてしまったお客さんの振り替えであるとか)が大変(その辺りの調整もパートナーが行う)であることは明白で、全く意味が分からないのだけれど、とにかく

「今日はやめにしよう」

だそうです(+_+)

何しろ、俺とお客さんの間にはパートナーの存在が……新たな大統領が築かんとしている国境線の壁の如く……頑然とそびえており、これまで何度も何度もお会いさせて頂いているお得意さまの連絡先でさえ(具体的な住所や電話番号はもちろん、メールのアドレスも)、俺には知らされておりません。

(仕事をしている時間の他で)互いに何か伝えたいことが出たとしても、

俺→パートナー→お客さん
お客さん→パートナー→俺

といった具合に、パートナーを通さねば、意思の疎通もままならないのです。

(仕事で直接お会いしている最中に連絡先の交換をすることは決して不可能なことではない。ただし、そのことがパートナーに発覚した場合、俺はパートナーとの関係を断たれてしまう。繰り返し述べているように、お客さんの連絡先を全て握っているのはパートナーなのだ。もし独立して俺が一人でやって行くとしても、お客さんを始めとした人脈作りを、またイチから始めなければならない)

従って、『じゃあオマエは休んでて良いよ。コッチはコッチで勝手にやるから』みたいなこともできません。

そんなに多くはないものの、これまでも何度かあったことで、一度なんぞはちょうどそのお休みとなった日、本来であれば仕事をやっていた時間頃、その場所で、傷害事件が起きたことがあり、肝の冷える思いをしたことがありました。

もちろん、(仕事を実行していた場合)俺なりお客さんのどなたかなりが事件に巻き込まれていたとは限らなくとも、その事件に混乱した状況下では仕事にならなかったであろうことは想像に難くなく、複雑な心境で報道番組を見ていたことを思い出します。

まさか今日も今日でおかしな事件が起こるとは思いたくもないけれど…。

それにしても、急遽お休みとなってしまったお昼前。ちょっと退屈です。

本屋さんでも眺めに行こうかなー。

死中活。

もう今夜はお仕事もありませんし、別に休んでも良いのだけれど、例の如く、週に三度の血液透析を中心とした妙な生活リズムが身に付いてしまっているせいか、眠ろうにも眠れません。

特にすることもないのに…。

ほとんど上記リンク先からの丸写しとなってしまいますが、もう一度、書き出してみようかな。

月曜日…〜徹夜明け)食事・血液透析(睡眠)・睡眠
火曜日…(食事せず)仕事(徹夜〜
水曜日…〜徹夜明け)食事・血液透析(睡眠)・睡眠
木曜日…(食事せず)仕事(徹夜〜
金曜日…〜徹夜明け)食事・血液透析(睡眠)・睡眠
土曜日…(食事せず)仕事・睡眠
日曜日…(食事せず)仕事(徹夜〜

…。

血液透析のある日は、ほとんど食べて寝るだけですね(^_^;;

食べ物の消化にも結構なエネルギーを使うと耳に致しますから、もしかすると、食事をした日に良く眠れ、食事を一切しない日には眠くもならないのは、

消化にエネルギーを使う必要がないから

かも知れないと思う一方、食事をしない日でも土曜日に限っては良く眠れています。

もう

そういうリズム

が体の中で出来上がってしまっているのでしょうか。

改めて考えてみれば、

食事…月水金曜日の週に三回

睡眠…月水金土曜日の週に四回(血液透析中の睡眠は回数に含めず)

です。

週に三度の食事に四度の睡眠か…。

こんな生活が果たして体に良いのか悪いのかサッパリ分からないものの、自身の体に感じる快不快は別として、毎月(血液透析を受けさせて頂いている施設にて)実施される血液検査の結果は良好で、少なくとも数字の上でやお医者さまの目に見えての異常は全くないそうです。

しばしば、生物の心拍数と寿命の間には相関関係があるとの説を耳に致しますが、それと似たような理屈で、

人間の寿命と食事や睡眠の回数の間にも何らかの相関的な関係がある

のだとしたら、食事の回数や睡眠の回数が一般的な日本人よりも恐らく少ないであろう俺は、実は長生きに…

なんて考えるのは、いささか都合が良過ぎますかね(笑)

もちろん食べたい時に食べられない、眠りたい時に眠れない、何より血液透析のお世話になっている。

生きるのにしんどいなぁ

とも思う向こうで、

それでも長生きできる

と考えると、ほんのちょっぴり嬉しいような、複雑な心境となることに気付かされました。

しんどい思いが長く続いてしまうだけなのにね(^_^;;

それでも生きたい。それが本能なのでしょうか。
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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

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