かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2018年05月

許して。

もう十分は経っただろうか。相変わらず白いままのブログ管理画面を見つめながら、小さく息を吐いた。

恐らく溜め息なのだろう。しかし彼は誰から問われるわけでもなく、心の中でそれを否定した。

始めて十二年目に入ったブログ。やはり取り立てて書くことがないことには違いがない。

また息を吐く。溜め息ではないか、という自分の中の疑念を封じるかの如く、今度の息は鼻から出す。

『鼻から出しても溜め息は溜め息か』

そろそろ梅雨へ入ろうかというのに、少し肌寒いぐらいの室内。その全てを離人感の薄い膜が覆っている。

それにしても。

彼は金もかからない"作文"という作業を愛してはいた。愛してはいたものの、"何を書くか?"を考える能力が欠如していた。

「だいたいこういった内容の文章を書きなさい」

と命じられれば、そこそこの文章を書ける自信はなくもない。

ただ、一からオリジナルの文章を書くことが苦手であった。

「書けるのに書けない」

その切なさは

「育てられるのに作り出せない」

と表すこともできよう。

そろそろ違和感を覚える頃だろうか。

この文章は何だ。いつもの慇懃さはどうした。

"作文"を愛するぐらいであるから、彼も物語をたしなむ。下手な小説を趣味で書いたりもしていた。

つい何日か前、一つのそれを書き終えた後、彼は自らが書くべき物語を失った。

俗な書き方をすれば

ネタが尽きた

のだ。

「育てられるのに作り出せない」

…。

そこで、趣味で書いている小説で用いるような言辞をブログで弄することを思い立った。

何せ文章というのも……彼にとっては……厄介で、ある一定の書き方に拘泥すると、同じ言語を使っているのに別のスタイルでは書けなくなってしまうのだ。

そこで脳の"作文"を司る部分

……

ここで何か格好の良い専門用語(ブローカ中枢であるとかウェルニッケ中枢であるとか)でも出したいところではあったのだが、少し調べて断念した。

利口なふりをした時の恥を知る男である。

……

を鍛えるべく、小説の書き方を忘れてしまわないよう、その練習の場として、ブログを選んだのである。

何せ小説とブログでは扱う文章の量が違う。

小説を書くつもりで臨めば、ブログ記事の一本などヘノカッパだった。

しかし脳の"作文"を司る部分はその環境の違いに戸惑っているらしく、ビミョーな混乱を来している。

ヘノカッパ。ビミョー。

これらの昭和Kハク体的な言辞を小説で用いることはない。これは明らかに

ブログ用

だ。まして小説にこんな無駄な改行が許されるはずもないではないか!

……

まだ無料だから良い。これをお金を出して購入した本だと思って読んでほしい。

スカスカで

空白だらけの

詐欺小説じゃないか!



思うはずだ。

……

いよいよ脳は混乱を極め、ここが小説なのかブログなのか良く分からなくなって参りました。

結局、ここでいつもの調子へと戻るワケでございます。

この余りにショーモナイ、練習という名の試みにお付き合い下さり、感謝です。

やっぱり小説は小説で、ブログはブログで、頑張って書き分けたいと存じます。

草々不一。

5月30日。

当ブログの開設記念日です!(^-^)ヤッター

11年前(2007年)の今日、このブログは生まれました。

こんなに続くとは思わなかったけれど(笑)

ましてや今日は水曜日ですよ。

ほとんどテレビを見なくなってしまった……元テレビっ子(死語)の……俺が、唯一レコーダーに定期予約まで入れて楽しみにしているテレビ番組が

『水曜日のダウンタウン』。

ここしばらくハマっているアーティスト(音楽ユニット)が

水曜日のカンパネラ。

そして今日が水曜日!

おめでたい!

ずいぶんと強引に持って参りました。

まぁ、お分かりのことかとは存じますが、相変わらず書くことがなくて(笑)

『今日はブログ開設11周年だ!(そのことさえ書けば乗り切れる!)』

とタカを括っていたトコロ、

あろうことか4行で終わってしまい、ホーホーノテーで何とかここまで書き進めた次第。

実に甘い考えでございました(+_+)

11周年たって別にケーキが出て来るワケでもなし、

「11周年です」

「はい。そうですか」

で一つの記事になると思っていた俺が間抜けという外ありません(笑)

しかも"11"周年という余りにハンパな数字(^_^;;

livedoorブログにブログも数あれ、アクセス数はともかく、

開設してからの日時

という意味に於いてはどうなのでしょうか。

そちらの意味であれば、そこそこ上位に入るような気がしないでもありせん。

余り人気はないけれどね(笑)

それでも"拍手"まで寄せて頂ける機会があったりも致しますし、これまでに荒らされるようなこともなく、恵まれたブログだとは常々感じております。

それが何より、ありがたいことです。

やはりブログも書き手のみならず、読んで下さる皆々様あってこそのものでございますから。

重ねて、感謝。

モッタイナイ。

今日も書くことないなー(笑)←いきなり。

いや、絶望的に何もありませんよ。

とはいえ、ブログ開設11周年を間近に控え、ここで更新を停止させる手はないでしょう。

今日が…29日。

だとすると明日!?明日の30日がピッタリ11年目じゃないですか。

とはいえ、今日のように「書くことがない」を始めとした諸々の億劫が重なってしまい、ブログの更新を休んでいた期間もございますから、今にして思えば

もったいなかったなぁ

と。その更新休止期間があるが故に、11周年とはいえ素直に喜べない部分も確かにあるのでした(+_+)

だってそうでしょう。

極端なことを申せば、20年前の今日にウェブサイトを作った切り、完全にホッタラカシにしておいて、20年目の今日にイキナリ

「ウェブサイト開設20年!頑張りました!」

とやったって、何か違うじゃないですか。

いちおう"それなりに"マメな更新をして参ったとはいえ、サボっていた時期があることに違いはなく、11周年なら11周年で、

その更新しないでいた期間(記事の抜けている日)を差っ引いて勘定すべきだ

という思いもございます。

相変わらず、変なトコロで真面目(堅い)というか、神経質(細かい)というか(^_^;;

その時(更新しないでいた頃)は嫌で嫌で仕方なかったんでしょうね。何でか。とにかくブログが嫌いになっちゃった。単に面倒だったのか、色々疲れていたのだか。

常々書いていることながら、『何でも良いから(毎日)書くだけ書いときゃ良かった』というのが今の俺の見解です。

続ける気がある(ブログを消す気がない)のであれば。

その日の天気だけでも、その日の自分の気分だけでも、何でも。

そうすれば

続けていた事実(経歴)だけは残せるワケで。

従って、11周年とは申せ、素直に喜べぬ自分がおります。

その辛酸の上に

「書くことがありません」

を繰り返しつつも、日々何かしらを書いている自分がいるでしょう。

考えてみれば、はた迷惑なブログですよね(^_^;;

ごめんなさい。

仕方がない。

5月28日。そろそろ5月も終わりそうです。

恐らく、そうとう不運なことでもない限り、このブログは(今月の30日に)11周年を迎えることができるでしょう。

それまでに少しでも離人感が落ち着いてくれることを望みます。

何せ、このブログを始めた頃、11年前(2007年当時)には離人感なんて一切なかったのです。

それが2009年7月3日に謎の卒倒を経験し、それ以来、離人感に見舞われるようになりました。

アレ(謎の卒倒事件)は何だったのかなぁ。

今でも俺の人生の中で大きな謎の一つとなっております。

何が嫌かって、夢見心地なのは仕方がないとして、感情が薄い、余り感じられないというのは色々な意味で厳しいです。

確かに恐怖や不安といったネガティブな感情さえも希薄になる為、

それは別に構わないのではないか?……むしろ良いことなのではないか?……

とも思えど、やはりネガティブとはいえ感情は感情、人間が生きて行く上に於いて大切で必要なものなのでしょう、怖くない、悲しくない、腹も立たないとあっては、退屈というか、自分が人でなくなったような気がして、独特の虚しさに襲われます。

離人感のハナシばかりを書いてしても仕方がありませんね。

俺の離人感は夏になると酷くなる傾向があり、今はその離人感が次第に強くなる時季に当たって、まだ慣れていないせいもあるだと思います。

これが夏の熱波や離人感にも慣れて、俺の中でアタリマエのようになってしまえば、どうということもないのでしょうが。

とりあえず次の記事からしばらくは離人感から離れることをお約束します。

こんなことばかり書いているのは、自分自身にとっても余り良くないことであるような気がしないでもありませんし(笑)

…。

ちょっと今回の記事は短いかな?

ビミョーに文量(文章の量)が足りないようにも思えるのだけれど。

ちょっと今回ばかりは勘弁して下さい。

離人感のこと以外には、特に何もございませんので(笑)←相変わらず。

苦痛のない苦痛。

今日もお仕事。

離人感は相変わらず。

記憶が抜けてしまう……何となく「記憶が消える」より「記憶が抜ける」と表現する方が適切である気がする……ことに対して、恐怖を覚える。

もっとも、記憶が抜けるのは、リラックスしている(気が抜けている)時にほぼ限られる。

仕事に関する事柄や大事な電話の内容を忘れてしまうことは少なくとも現時点ではない。

そういう意味では、俺にとって

文章を書いている時間=最良のくつろぎを得られる時間

である為、特にブログを書いている時間やブログに書いた内容の記憶は

抜けやすい

のかもしれない。

ここで気が付く。

いつものブログと文調(文章の調子)が違う。

このスタイルは……異様な改行を除けば……俺が下手な小説を書いている時の書き方だ。

間違えてました(笑)

生みの苦しみ(取り立ててブログに書く事柄のない時の苦しみ)は別として、

本来であれば楽しいヒトトキとなるハズのブログを書いている時間に限って離人感が強烈になるという皮肉。

作文のリラックスがもたらす離人感の強さにより、作文の楽しささえ希薄になってしまうのでした(+_+)

味のない食事をしているような

ボリュームが壊れてしまい、やっと聞こえるぐらいの小さな音で好きな音楽を聞いているような

もっと強く揉んで欲しいのに、すごく弱いチカラでマッサージを

…。

またタトエバナシだ(笑)

もっと楽しい時間のハズなのに、その楽しみも薄くしか感じられなくて。

いつも以上にアタマの働きが鈍く、思ったような文章も書けないし。

また休憩時間が終わりそうだ。

頑張って来るよ。

またね(^-^)
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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

今日の暦