『余計なことを言ったかもしれない』

彼は遅い後悔の念に囚われている。

つい先ほどのこと、世話をしている観葉植物やら盆栽やらを表に出して水やりをしていると、制服姿の警察官に声を掛けられた。

「こんにちは。すみません」

もう四十を超えた彼からすれば、まだあどけなささえ感じるような若い警察官だ。つい口が軽くなる。

「こんにちは」

「すみません、そこの角の、杉浦さんをご存知ですか?」

「杉浦さん……。そこの角のお宅?杉浦さんと仰るんですか?屋根が青い」

「えぇ。青い屋根のお宅です」

「そこの角」とはいえ、二つ向こうの通りの角だ。住まう人の名前までは知らなかった。

「年配の……、お爺さんなら知ってますよ。よく犬を連れて散歩しています」

「よくご存知?」

「いや、よくってほどでもないけど。こうやって俺が植物に水をくれるタイミングと、そのお爺ちゃんの犬の散歩のタイミングが合うのかな。見掛けたら、お互い挨拶するぐらいは」

「最近も会いますか?」

何となく嫌な感じがする。何せ相手は警察官だ。その警察官が「杉浦さん」のことを訊いて回っているのだとすれば、件の「杉浦さん」が何らかの"警察沙汰"に関わっている可能性が高い。いや、そうとしか考えられない。

「何かあったんですか?」

「いや、ちょっと」

すんなりとは答えてもらえないだろうな、の予感は的中する。もっとも、「杉浦さん」には何の義理も恩もなく、何かを隠し立てする理由もない。善良な市民として、ここは素直に協力すべきであろう。

「そうだな。最後に見掛けたのは先週の金曜日かな?」

「金曜日?先週の?2月1日ですか?」

「カレンダーがないんで日にちまではちょっと。とにかく先週の金曜日です。透析のある日だったから」

「トーセキ……?」

「あ、人工透析です。ちょっと体を悪くしているもので」

それとなく、自分で自分の左腕に注射をするようなジェスチャーを見せた。特に警察官は何も感じていないようではあったが、そのジェスチャーは違法薬物の摂取を思わせ、後になって不適切であったと自戒する。

「あ、なるほど。病院へ行かれた?」

「えぇ。毎週決まった曜日に。だから金曜日でした」

「2月の1日……」

明らかに警察官の態度がおかしい。嘘も何も正直に事実だけを述べているつもりではあったものの、もしかすると彼は余計なものを見て、その余計な事実を警察官に伝えてしまったのかもしれなかった。

「今日はどこかお出掛けですか?」

「いや、自宅で仕事してます」

「そうですか。ちょっとまたお話を伺うことになるかもしれません」

「はぁ」

「あ、その時、その、2月の1日の金曜日、2月1日の杉浦さんの様子に何か変わった点があったりはしませんでした?」

妙に2月の1日を強調して言う。

「はい。いつもの犬を連れていなかったんですよ。お爺ちゃんお一人で。珍しいなぁ、とは思いました」

「ご挨拶は?」

「その時はしません。こっちを見てくれることもなくて。ただ、挨拶も、必ずってわけではなかったし」

「そうなんですね……」

少し考え込むような様子で、若い警察官は親指を使ってこめかみの辺りをかいた。しばらくすると、あっと思い出したように口を開く。

「分かりました。ありがとうございます。それでは、また伺います」

先ほどの「伺うことになるかもしれません」が「また伺います」に変わった。いよいよ厄介だ。ただ、「杉浦さん」が何をどうしたのやら分からず、誤魔化すにしても何をどう誤魔化すべきかが分からない。

面倒事に関わりたくないからと知っている事実を曲げて告げれば、更に余計な面倒を抱き込み兼ねないのだ。

『余計なことを言ったかもしれない』

今にも玄関のチャイムが鳴らされるのではないかと、妙に浮足立った気持ちで、今日は落ち着けそうにない。

(注:このお話はフィクションだと思います。続きも期待しないで下さい。これでおしまいです。たぶん)

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