うぅん…。

今日はー、書きたいことがないこともないんだけどー、ちょっとこのブログには適さない内容でー、でもー、アタマの中はー、"そのこと"だらけでー、何か悩むー、みたいなー。

困ったな…。

まぁ、具体的に何のことかは書きませんよ。皆さんで色々に想像しながら読んで頂けると嬉しいです。

今までお元気で、特に原因となるような健康に悪い行いもしていないのに、重い病気に罹ってしまうことってありますよね。

いちおう元気ではあるものの、検査か何かで、出ちゃって、

「あなたは病気です」

と。

そんな時、一番びっくりされるのは、外ならぬ…新たに"患者さん"となってしまった……ご自身だと思います。

ご家族を始めとした周囲の方々だって驚かれるでしょうが、やはり自分が一番、精神的にも、ズドン!と。

そんな時は、まずご自身の方で病気と向き合う心構えというか、

どう病気と付き合って行くか?(個人的に"闘病"とか"病気と戦う"といった表現は嫌いです)

を考える必要があるのではないかと。

その段階(自分でも今ある病気がどういったもので、どんな治療法があり、治る治らないも含めて、自分としては今後どうして行くのかを見定めている段階)に於いては、周囲は静かに見守っていた方が良いような気が致します。

「きっと治るよ!」

とか

「頑張って!」

とか

「今は良い治療法があるんだって!」

みたいな様々な情報を、まだご本人が処理できる段階にはないように思えるのです。

もちろん、担当のお医者さまからの情報が最も重要であることには間違いありません。

ただ、本人も恐らく混乱の極みにいるであろう段階で、わちゃわちゃと外野が

「治る」だの「頑張れ」だのと。

小さいお子さんであれば別ですよ。でも今はインターネットだって何だってございますし、まず病名を聞いた段階で、患者さんご自身でも、一通りのことは調べられると思うんです。

もちろん、その中には良くなかったケースも含まれるでしょう。

『あれ…。死んじゃうのかな?こんな元気なのに?嘘だぁ。きっと死んじゃうのは気付くのが遅かった場合だよね。私は早期発見だから大丈夫だ。でもな、ちょっと怖いな。治療ってどんなことするんだろ?痛いのかな。ウチから通いながら治せるのかな。仕事どうしよ。そういえば赤ちゃん作るのとかにも問題ないのかな』

ぐるぐる考えちゃうと思います。

そこで周囲が訊かれてもいないことをワーワーと、たとえ元気付けるつもりで、患者さんの為を思ってすることにしたって、下手すれば、却って負担になってしまうことだってあるような。

ごめんなさいね。個人的な意見ですよ。それも冷たい人間の。

仮に、実際に同じ病気を無事に乗り切った元患者さんで、

「ほら、ボクはすっかり元気だよ!だからキミも大丈夫!」

たって、不安で不安で仕方がない当事者からすれば

『あんたはね…』

ってな感じに陥ってしまうこともあるのではないでしょうか。

ご家族を始め、患者さんご本人でない、患者さんに極めて近しい方たちも、不安で、心配で、何とか元気だけでも出させてあげたい、勇気付けたい、そんなお気持ちも理解した上で、まずは患者さんご本人に

事実を受け止め自身の今後を考える時間

を与えてあげて欲しいなぁ、と望んでしまうワケです。

「人工透析が必要です」

と俺が告知された時、冷静でいられたのは、俺が孤独だったからに外なりません。

誰から何を与えられるワケでもなく、一人で考える時間はたっぷりありました。

今にして思えば、あの孤独は俺の味方だったのです。

もしも俺に暖かい家族や親友や同僚や恋人がいて、それぞれの立場から色々なことを言われていたら、或いはそれがポジティブな言葉の数々であったとしても、俺は逆に絶望していたかもしれません。

一人で考え、一人で結論を出し、一人で決めたから、強く速く次の一歩を踏み出せました。(もちろん、お医者さまのご意見には良〜く耳を傾けつつ、です)

あらためて書くまでもなく、もし、患者さんご自身の方からSOSがあった場合は別ですよ。そんな時は、どうか周囲の皆さんで支えてあげて下さい。

いくらでも話を聞いて、相談に乗ってあげて欲しいと思います。

そうでないと、逆に患者さんの方が周囲に気を遣ってしまうようなことにもなり兼ねませんから。

そんな、孤独なおじさんのね、まぁ、ただの独り言です。

すみませんでした。

〜追記〜

本文の内容をブログに書こうと思い立った出来事は確かにございます。

読んで下さった皆さまの中にも『あのことを書いているのかな?』と思い当たるフシがあったのではないでしょうか。

ただ、件の出来事と今般の記事に直接の関係はないことを明記しておきます。

常日頃から思ってはいることです。

にほんブログ村 その他日記ブログ 何気ない日常へ