いっそ忘れてしまいたいぐらいの過去なのに、何故かそんな過去の夢をわざわざ見てしまうことがある。

記憶は残っているにしろ、それが意識に上ることはなく、ほぼ忘れている状態であるにも関わらず、夢で見せつけられるのだ。

小学生の頃は随分とイジメられた。

もう四〇も半ばになろうかというおじさんが、

「小学生の頃にイジメられていた」

等と書くのはミットモナイことだと思っている。

実際、確かに『つくづくツマラナイ小学校生活だった』という気持ちはあれ、当時のイジメっ子たちに特別な感情(恨みであるとか怒りであるとか)を抱くこともない。

そんなイジメっ子たちと何故か楽しく遊ぶ夢を見た。

そのような記憶はないから、或いは記憶の裏返しであるとか、そういうことなのかもしれない。

散々俺をイジメていた子たちと笑顔で楽しく遊ぶ夢。

当然のことながら、夢を見ている間は楽しかった。

ただ、起きた後の心境は複雑だ。

正に夢。幼い俺が夢見たような小学校生活を、何の因果か大人も大人、すっかり中年と呼べる年齢に差しかかった俺が見て、現実とのギャップにちょっぴり傷つく。

夢を見ている間と反し、起きた直後は少し面白くない気分にさせられた。

あの手の夢は見たくない。

とっくにフラれた過去の恋人と結婚生活を送っている夢。

リストラされた会社に残り出世している夢。

疎遠な家族と上手くやっている夢。

とうの昔に失われた可能性の夢の数々だ。

そんな夢を可能性がなくなってから見させられても。

それもそれ、逆悪夢か。