相変わらず学校ではイジメが続いていたが、いわゆるガキ大将のような立場の人間がいて、彼の誕生日会には出席しなければならなかった。

一種の道化としてであり、また彼への貢ぎ物たる誕生日プレゼントも持参しなければならなかった。しかし、そのような時も

「友達の誕生日会があってプレゼントを持って行く」

と告げれば母親は小遣いを渡して寄越した。そこにもやはり良い家庭だと思わせたい見栄のような心理が働くのか、それなりの金額である。

また、当時の慣例として、誰かの誕生日会に招かれたら自分の誕生日会にもその人物を招かねばならない暗黙のルールめいたものがあり、ガキ大将の誕生日会に呼ばれてしまった以上、こちらとしてもガキ大将を自分の誕生日会に招かねばならなかった。

今のイジメと当時のイジメとでは違う部分があるのかもしれないが、少なくとも当時は割りと親の存在が大きく、子供にとっては恐ろしくもあり、たとえイジメっ子であってもイジメている子の親にどこかで会えば

「おばさん、こんにちは」

等と妙な律儀さで挨拶するところがあった。

従って、イジメている人間の自宅で開催される誕生日会とあっては、日頃のイジメっ子たちも大人しいもので、くだらない物であるにしろ、一応プレゼントも用意して来てくれる。一つ100円もしないカレーの匂いがする消しゴムであるとか、見たこともないキャラクターが描かれたメモ帳であるとか、つくづくくだらない物ではあったけれど。

そんな時も母親は誕生日会に招いた子たちの目を人目と判断し、きちんとケーキやちらし寿司のような物を用意して、来客用のテーブルには豪勢な料理が並んだ。

イジメっ子たちに彼へ対する特別な思いがあるはずはなく、そのような馳走を食べるだけ食べ終えれば

「おばさん、ごちそうさまでした」

と行儀良く帰って行く。

もちろん、誕生日会が開かれた以上、その日は彼の誕生日であり、夜ともなれば今度は家族との誕生日会が待っていても良さそうなものであるが、それが開かれた記憶はない。いつもと変わらぬ冷たく静かな夜があるだけだ。

恐ろしいことに、これら一連の行為は母親による綿密な根回しと共に行われていたらしく、彼に物心が付き、いよいよ自分の家庭がおかしいと確信した頃には、もう手遅れとなってもいたのである。

家庭内で受けている仕打ちを周囲へ訴えても、

「あのお母さんに限ってそんなことがあるはずはない」

と、寧ろ彼が「嘘吐き少年」のレッテルを貼られ、更に追い込まれる結果となり、そのようなことを触れて回っていたことが母親の耳に及べば、彼が人目のない場所でどのような目に遭わされたかは想像に難くないだろう。