かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2009年09月

強い離人感。

今朝から離人感が強い。かなり強烈で、自分が誰だかさっぱり分からない。そしてその疑問が余りに馬鹿馬鹿しいモノであると頭でははっきり分かっているのがまた気持ちが悪い。
手を見ると手と分かる。ところがどう見ても手ではない。何だか5本の棒があって、うねうねと自在に動く気味の悪いモノに感じてしまう。
感覚もおかしい。耳が頭の横についておらず、何処か遠いトコロにぽつんと置いてあって、そこから間接的に音が脳に伝わる感じ。

マシンに意識があったとしたら、直接的に有線で接続されていないBluetoothのマイクから入力された音などはこんな風に感じるのかもしれない。
口もそう。口の位置に違和感がある。そこから発する声も変(自分の声じゃないみたい)に思え、更に自分の違和感のある口から発せられる変な声が、遠くにある自分の耳から聞こえるのだから、頭が混乱してしまう。
それだけシッチヤカメッチャカな状態にあって、耳の位置、口の位置を疑問に持つとは愚かだなと認識している自分もいるので大変だ。

いちいちそんな違和感や疑問を感じたり、考えたりしながら行動しないと思うので、普通にしていてもテンパる。
メモリの足らないパソコンのようだ。同時に不必要なたくさんのタスクが走っている。接続されているデバイスも山積みだ。前後にしか動かないマウス、左右にしか動かないマウス、左クリックする為だけのマウス(ボタンだけ)…。全く効率的でないパソコン。
少し例えが違う気がするが、他に表現のしようがない。

仕事に少し差し支えがある。絶えず頭の中にぐるぐるとおかしな違和感が浮かんでは消えるので、情報処理能力に劣る。
例えば書類の5桁の数字を見て、書類を置き、キーボードからその5桁の数字を入力する。その単純な動作の合間にも「あれ、この手みたいなモノは自分のかな?きちんと動くの?どうやって動かすんだっけ?」などと妙な疑問を感じることがあるので、その間(一瞬だが)に覚えた5桁の数字を忘れてしまう。(or覚えている数字が合っているのか自信がなくなる)

余りにヒドいので昼に20分ほど昼寝をしてみると、幾らか軽快した。やはり睡眠も一つのスイッチになっているようだ。
ただし、寝れば良いのではなく、逆に悪化する場合もあるので注意が必要だろう。
今こうして書いている文章も、自分が書いているモノだと自覚しにくい。読み返してみると一応読める日本語で書かれているとは思うのだが、それも何だかはっきりしない。
もしおかしな文章(文法的に)だったらごめんなさい。その時はコメントで指摘してくれると嬉しいです。

ふと思い出したこと。

今ではほとんど考えなくなったが、子供の頃にはこの疑念が強く、誰も人を信じようとしなかった。
それは自分がまだ体験してない土地や、遡れない過去に対する疑惑である。
エジプトにはピラミッドがある。アメリカには自由の女神がある。江戸時代には武士がいて、彼らは日本刀を持っていた。人間が誕生する以前、地球上には恐竜がいた。
それらの事実が受け入れ難く、何で見たことも確認することもできないことを信じなければならないのかが分からなかった。

その内その疑惑は奇妙な形に変わっていく。自分の親は本当の親か。自分の弟は本当に弟か。
自分の行ったことのない国や県が本当に存在するのか。
学校の遠足か何かで初めて千葉県の東京ディズニーランドへ行った。テレビでは見たことがあるが、ミニチュアのセットかもしれない。本当にあんな遊園地はあるのだろうかと、馬鹿げた思いで電車に揺られていたことを覚えている。
果たして東京ディズニーランドは確かに存在した。しかし俺は疑うことをやめなかった。

学校で遠足が決まった瞬間に、ディズニーランドが建設されるのでは…。つまり今の時点でまだ俺が踏み入ったことのない土地は、実は存在せず、俺が行くと決めた瞬間に建造されているのに違いないと思ってしまったのである。
当然まだ会ったことのない人も実は実在しない。芸能人、スポーツ選手といった著名人がこれだけいるのに、生で目撃しない理由を、俺はそれで片付けた。彼らは実はいないのである。
すると自分は一体何なのかと言う疑問が浮かぶ。それについても色々と考えていた。

自分が行ったことのない土地や時代が存在しないとすれば、俺がいなければ世界は存在しない。俺が世界の中心だということになる。
実はこの世界は箱庭ではないか。人生や考え方を観察する実験か何かで、俺は嘘の世界にいるのではないか。俺の親や友達は、みんな俺の観察者で、何らかの意思に従って動いている。
そして俺に様々なシミュレーションを行う。こういった教育を施すとこう成長する、こういった試練をあたえるとこういった解決法を取る、全て観察されているのだ。

中学校に入る頃にこの考え方は顕著になり、トイレを出てドアを閉めた瞬間に便器は消えているかもと疑ったことさえある。
バレンタインデーに俺のことを好きだと言ってくれる女の子が現れても「今度は恋愛の実験か」と相当冷めた目で見ていた。(悪いことをしたなぁ…)
ゲームの中にいるキャラクターのような気分で、妙な感覚だった。深夜に突然思い立って、両親の寝室を急襲したら、実験の相談をしている光景を目撃できるかもしれない…深刻にそう考えていた時期もあった。
上手く説明できないが、今ある離人感と少し似ているトコロがある。自分が本当の自分でない感覚。離人感は子供の頃のそんな考え方に由来するのだろうか。

携帯電話をなくす。

携帯電話がなくなってしまいました。ウチの中なのでその内出てくると思いますが。恋人がいる時に携帯電話がなくなると、彼女の携帯電話を借りて自分の携帯電話を呼び出したりしていたことをふと思い出して、急に寂しくなりました。
恋人がいる生活といない生活では、大きいことから小さなことまで色々と変わるのだなぁと改めて思います。

一人だと趣味や興味が偏ります。相手がいれば、一人では観る気が起きなかったであろう映画を観たり、知らない音楽などに触れることができます。
逆に自分の好きな映画や音楽を一緒に鑑賞して理解してもらえるととても嬉しいです。
映画館などにも余り行かなくなりました。一人で劇場に入ることに抵抗はありませんが、一人だと「いつでも行けるし」と思っている内に公開終了してしまったりします。

お金や時間は圧倒的に一人の方が自由ですが、恋人がいないとできないことも色々と多いですね。恋人がいてできたら嬉しいことの質問に多くの人はセックスを挙げるかもしれません。でも今の自分がしたいことは口喧嘩ですね。
本気になって感情を丸出しにすることが俺は余りできないので、今思えば口喧嘩は新鮮な体験でした。
やはり女性には全く歯が立ちませんでしたが、口喧嘩のムカムカと、その後仲直りするまでの微妙な空気や腹の探り合いは、面白いと思います。あれはある意味心理戦です。

自傷について考える。

何故離人感がある時に、自傷や自殺をしたくなるのでしょうか。単純に「痛みを感じたい」というのがまずあると思います。この肉体は本当に自分なのか、神経は通っているのか、正常な感覚はあるかという疑問への答えが「痛み」です。
ですが、「痛み」がなくても自分の肉体を確認する方法はあります。例えば手で顔を触るだけでも良いわけです。

もっと強い刺激が欲しいのかもしれません。確かにカッターナイフで何処かを傷付けて、血が流れる様を見たら落ち着きそうだ、という思いはあります。
ですがそれは思っているだけで実際に血を見たトコロで落ち着くことはないでしょう。痛いだけです。
こういった感覚は離人感のある人なら分かるものなのでしょうか。なかなか文章で説明するのが難しいです。

自殺願望についてはもっと複雑で、自殺であって自殺でありません。自分を殺すことが自殺でしょうが、今の俺の場合、自分が自分でないので自殺になりません。
まず自分が複数います。今現在だと離人感を感じている自分、文章を考えている自分、キーボードを叩いている自分…と全ての作業を担当する自分がバラバラです。また一瞬前の自分も今の自分とは違う自分で、更に今の自分も自分でないので「俺はドコだ?」と疑問を持つ妙な状態です。

なので自殺をすると、自分でない自分が死んだ後も本当の自分だけが生き残れるのではないかという異常な感覚が常にあるのです。死んでいく自分が自分であって自分でなく、生き残る自分がいる。
自分でも書いていてワケが分かりません。とにかく自分のコピーが無限にいる世界を想像してみて下さい。やたらと鬱陶しいと思いませんか。
余りの鬱陶しさにヤケになり、自分以外の全ての自分を殺してしまいたいのです。
生き残るのはオリジナルでしょうか。コピーでしょうか。何だかSFの世界ですね。

今日の離人感。

午前中は気にもなりませんでしたが、昼食の材料を求めて近所のスーパーマーケットに行こうと表で出た瞬間に、自分が自分でなくなりました。
外に出た瞬間に離人感に襲われることがよくある気がします。光が関係ありそうです。太陽の強い光を受けると、眼球から頭の奥に、鼻に水が入ってしまった時のような、ツンとした痛みを感じ、眩暈がします。

眩暈はかなり強く、歩けません。その場で立ち尽くしてしまいます。立ち眩みの時のように視界は白く濁り、まともにモノを見ることもできません。恐らく1〜2秒で痛み、眩暈、立ち眩みは解消され、同時に離人感が出ます。
離人感がある状態で歩くと、一歩一歩自分をぼろぼろと落としながら歩いている感じがします。一歩前の自分が誰かがよく分からなくなります(自分であることが間違いないのは勿論分かりますが実感できない)

一度離人感が出てしまうと、寝るまで続きます。お酒を飲むとアルコールの作用でかなり軽減(…しているのかは不明だが気持ち的には楽になる)します。第一の副業のパートナーからタバコを勧められ(彼女は喫煙者ではありませんが、ニコチンで落ち着くのではと言われ、久し振りに購入しました)、試してみましたが効果はありませんでした。

精神科の予約日まではだいぶ時間があります。他人を見る以上に自分に興味が持てないので少し怖いです。突発的な自傷行為、自殺に気をつけないといけません。そんなことはしたくないですが、自分が自分でなく、また離人感が強い時は生物ですらなくなる為、痛みや死をもって自己を確認したい衝動に駆られることがあります。
「死んだら離人感がなくなる」と変な思考に陥るのです
お酒が入ると楽になるので日中でもアルコールを求めがちで、お酒への依存も要注意です。
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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

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