おかげさまで少しずつ元気になって来ました。(精神的に)
とは言え、何だか体調の方が良いような悪いような、ビミョーな感じ。
血液透析と言うのも、透析患者の場合は腎臓が上手く機能しておらず、体に水分や老廃物が溜まり易い(出て行かない)体となってしまっているワケで、そう考えれば要するに、ほとんど出ない何日か分の尿(水分や老廃物)を何時間か掛けて纏めて出す行為、と解釈しています。(あくまで持論)
二日も尿が出ず、出たと思ったら四時間もトイレへ篭りっ放し。
そのように考えると、如何にも不自然で、体への負担も大きそうです。
当然、毎回の血液透析を始める際にも、看護師さん等から体調を尋ねられます。
しかし、そもそもが病人…と言うか、臓器不全者なワケで、常に何処かしらオカシイと言えばオカシイ。
健康な方にしても心当たりはあるのではないでしょうか。
言われてみれば眠れていないような気がしたり、少しカッタルイ感じがあったり。
自分の場合、特に神経質なタチなので、『ちょっとお腹が変だなぁ』とか、『何だか気持ちが悪いなぁ』なんて少しでも感じようものなら、『血液透析中にトイレへ行きたくなったらドーシヨー…』とか、『血液透析中に具合が悪くなったらドーシヨー…』みたいな懸念に達し、ストレス(?)で更に具合が悪くなるテイタラク。
『何だかお腹が痛いような…?』程度の違和感が、強く不安になるに連れて本当に痛く感じてしまう不思議。
もっとも、体調の変化に関しては寧ろ敏感なぐらいが丁度良いと(透析室のスタッフさん方から)言われてはいるのですが。
何となく今日はダルいと言うか、体が重いです。
ほんの少〜しだけ。
2012年10月
とても寂しい所で、誰も俺に傷を付けに来られないけれど、
人肌の温もりが届くこともない。
ここへは昔から良く来ていた。
しばらくは良い。
でも退屈だ。
恐る恐る出よう。
そろそろ出よう。
ただ入り方も良く分からなければ、
出方も良く分からない。
禁を破り、ネガティブな話題に触れます。
何か悪い影響があると行けません。
心が弱っている方はお読みにならない方が宜しいかと。
閑話休題。
まだ元気が出ません。
「元気が出ない」と言うのは、「体調が悪い」と言うワケではなく、何と言うか、精神的(?)なモノです。
表現を変えれば、「覇気がない」でしょうか。
何もかも放り出して、ゴロゴロしていたい気分。
正にダメ人間状態(^_^;;)
俺の場合、人工透析を受けていますから、「何となく外へ出たくない」だけの理由で、血液透析を拒否(透析施設へ行かない)したりしますと、それは死へ直結する可能性も充分に考えられ、少し怖いです。
極めて死が近い状態である為、ふとした瞬間に死を選択してしまいたくなるのです。
遠い昔は自殺志願者だったのですが、ちょっと以前の自殺念慮とは違い、
『透析に行きたくないなぁ。行かないと死んじゃうのかなぁ。まぁそれでも良いかぁ』
みたいな、直接的でない、妙に間接的な自殺(自死?)念慮。
死が目的ではなく、透析拒否と言う目的が死へ繋がっているような感じ。
特に死にたいワケではないものの、透析へ行きたくない以上、死の他に道が残っておらず、仕方なく。
そうなると、食べ物の制限も水分の制限も面倒になってしまい、『もう俺はダメだ!』と(笑)
もっとも透析不足に因る肺水腫の苦しさも知っているので、ちゃんと透析へは行きますが(笑)← 痛いのも苦しいのも大嫌い。
勇気を以て不治の病と闘っていらっしゃる方も大勢いらっしゃいますが、やはり闘病に少々疲れてしまう瞬間はあるのでしょうか。
そのようなマイナスの部分は闘病記等にも余り詳しく取り上げられない箇所であるようにも感じられ、少し興味があります。
病魔に魅入られてしまわない様、気を付けたいです。
早く元気を出さなくちゃ。
夜はパンを焼いて食べよう。
何か作る気には余りなれません。
元々、このブログはlivedoorが運営していた『nowa』と言うサービス内にありました。
TwitterとブログとSNSを併せたようなサービスで、ユーザー同士の接点も少なくない仕組みとなっていましたから、或いは『誰か友達が出来るかも…』とか、『誰か女性とお知り合いになれるかも…』等と言う不純な動機が全くなかったと申せば嘘になると思います。
あれから5年が経ち、『nowa』の崩壊に伴って、ブログは丸々『livedoorブログ』へ移りました。
その間、確かに一部の読者の方とメールアドレスの交換をさせて頂いたり、直にお会いさせて頂く機会もありました。
とは言え、生まれ付いての人見知り。消極的な性格も相俟って、その後は何の進展もなく。
恐らく今も同じでしょう。もし何らかのカタチでお誘いがあったとしても、俺の方からオロオロと尻込みしてしまうのは明白。
自分では気付かない致命的な欠陥が俺にはあるハズです。
さもなければ36年間も友達がいない事実の説明が出来ません。
愛して下さった方も、皆、去って行きました。
このブログの根底には、常に何らかのシタゴコロが存在したと思います。
公開日記の体裁を採る一方で、常に見られていることを意識していたのです。
そろそろ諦めましょう。
俺には何もないと知りましょう。
何も気取らなければ、少しは楽になれるでしょうか。
nanny
恥ずかしがりで寂しがり。
Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。
糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。
2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。
ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。