かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2014年08月

だいぶ寒いわ。

今日は第一の副業

(俺は二つのお仕事を掛け持ちしています。とは言え、特定の会社に勤めているスタイルではない為、いずれも「副業」と言う表記にさせて頂いております。しかし現在は血液透析の都合等もあり、件の「副業」とは別に「本業」があるワケでもありません。尚、お仕事の詳しい内容に関しては質問を頂きましてもお答え致し兼ねますのでご了承下さい。ただし決して非合法であったり反社会的な職業ではないと言うことだけは記しておきます)

で出掛けて来ました。

原因は不明なれど、何となく元気がなく、落ち込んだ感じです。急に涼しくなって秋めいて来たせいかな。

今更ですが「ありのままで〜♪」なんて歌が流行りました。

「ありのまま」って何でしょう。「ありのまま」とか「素直」とか良く使われる表現だけど、とても難しいことだと思います。

例えば、店頭で欲しい品物を見付けました。でも全く手が出ない程ではないにしろ、高価です。

『良いな。欲しい。でも高い』。

そこで、その商品を盗むことにしました。要するに万引きです。

『良いな。欲しい。でも高い』

へ「素直」に従ったワケですから、これも「ありのまま」と言えるのでしょうか。

殴りたい相手がいれば殴り、犯したい相手がいれば犯す。

「やりたかったからありのままにやったんだ!」と言われてしまえばそれまでです。

でも人間には同時に罪悪を感じる心みたいなモノが備わっていることも多いです。

欲しいけれどなかなか手が出し難い物を思うに任せ奪った。

犯行が成功した瞬間は『やった!』と思うかも知れません。

でもだんだん『誰かに見られていたらどうしよう…』とか『捕まったらどうしよう』とか、怖い気持ちが出て来そうです。長く長く罪悪感に苛まれる可能性だってあります。

誰しも心の中が清いことばかりではないでしょう。

寧ろ欲望とか願望みたいな部分はドロドロとしていて汚いトコロのような気がします。

そこへ「ありのまま」に従って良いのかどうか。

従った後、必ず良い結果へと繋がるのかどうか。

もしかすると、そもそもそんな表層的な欲望とか願望自体が実は大きなマヤカシで、自分が本当にしたいことはもっと別にあるのかも知れません。

人間って難しいですね。

自分がしたいことなのに、それが本当にしたいことなのかどうかも分からない。

「ありのままに」。

言うのは簡単。落ち込んでいる人に「ありのままで良いんじゃない?君は君なんだから」なんて簡単に言えてしまう。

自分でも難しいことなのにな。

ブームの元となったアニメ映画でも観たら、何か良いヒントが得られるのでしょうか。

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家庭とは縁がない。

そんなワケで、いつもなら自転車でビュンビュンと通過してしまう住宅街の中をテクテクと歩いて帰って来ました。

多くのご家庭では、そろそろ夕飯の頃だったでしょうか。

町に様々な良い匂いが漂います。自由に食べられない、特に週に三度の食事しかしていない身としては、"目の毒"ならぬ"鼻の毒"です。

もちろん他人様の家の居間や食堂を覗いたワケでもありませんから、当たっているのかどうかは分かりませんが、不思議と匂いで献立が分かったりするんですよ。

当然の如くカレーの匂いは良く分かります。他人様のお宅から漂って来る美味しそうな匂いの代表と言えるでしょう。

他にも匂いだけで何とな〜く『卵を焼いているのかな…?』とか『チャーハンっぽいな…』とかが分かってしまう。何とな〜くですけれども。

美味しそうな香りと共に、家の中から食卓に好きな料理が並び喜ぶようなお子さんの声が聞こえて来たりすることもあります。

俺の場合、ちょっと家庭環境が複雑と言うか何と言うか、幼い頃から余り両親との仲が良好ではなかった為、そんな声があると"耳の毒"が重なったりもして、二重に羨ましくなってしまいます。

次の食事は水曜日。

何を食べようかな。

今でも食べることは大好きだけれど、一人で調理して、一人で食べて。

ちょっと寂しいですね(^_^;;)

晴れ男。

今日も無事に月曜日の血液透析を受けて来ました。

朝の天気予報で「今日の東京は降ったりやんだりの不安定なお天気…」等と言っていたものですから、いつもの自転車は自宅に置いたまま、傘を片手に徒歩で。

ところが見事に空振りです。

少なくとも俺が表に出ている時間に関しては、雨が降りませんでした(+_+)

晴れ男と言うのか、血液透析で週に三回の通院をするようになってから二年以上が経つものの、実際に傘や雨具を使ったケースは両手で数える程しかありません。

台風の日でも何故か自分が表にいる時間は風が吹くばかりで雨は傘が要らないぐらいだったり…。

だからと言って、あくまで「確率が高い」と言うだけの具体的な根拠も何もないことですから、天気予報で雨だと言われれば自転車通院は諦め、そして、その度に裏切られる(^_^;;)

特に最近の天気予報はズルい(?)ですよ。

「○×地方、雨のマークは出ていませんが、所々で局地的な雨の降る可能性がありますので、お気を付け下さい」

って予報になってないじゃん!(笑)

まぁ最新の天気予報技術の進歩が、異常気象の進行具合に追い付いて行かないのでしょう。

優秀な計測機器やコンピュータもある、この時代に。

まだ「天気予報のせいで傘が無駄になった!」とか「洗濯物を濡らしちゃった!」なんてやっている内は良い方なのかも知れません。

もっと大変な被害に遭われてしまった所もあるぐらいですものね。。

ソースなしコロッケ美味しいよ。

先日、Twitterでこんなことをつぶやきました。


つぶやいた時は何気ない感じだったのですが、つくづくそう思います。

例えば、ファミリーレストランの食卓には塩の瓶が置かれていることがあったりします。まだ腎臓を悪くする前は、やたらとこの塩の世話になっていたような気がするのです。

ファミリーレストランでハンバーグを注文すると、ちょっとした量のフライドポテトや、ほうれん草のバターソテーがメインであるハンバーグの横に添えてあるのが定番だったりします。そこに必ずと言って良いほど塩を振り掛けていました。

おまけ的な添え物とは言え、レストランで出される料理である以上ちゃんと味付けはされていたハズで、しかも塩を足す際は、先に味を確かめたりすることも一切せず、とにかく『振るのがアタリマエ』とばかりに塩を振っていたような覚えがあります。

居酒屋さんで焼き鳥(塩焼き)を頼んでも、更に塩を自分で追加する。

定食では塩鮭を焼いたような物や小鉢のお新香にさえも、何故か必ず醤油を掛けていたような…。

上にも書きましたが、そのような時に全く味見をしないことが多いんです。とにかく食べ物によって『これは味を足す物だ』みたいな謎の先入観があり、それを食べるとなれば脊髄反射的に味を加えてしまう。

まぁ七味唐辛子やコショウみたいな香辛料を適量に…なら構わないと思うのだけれど、自分の血圧が高い、腎臓が悪いと知っていながら塩を足してしまう行為は大問題と言えるでしょう。

もう流石に慣れたとは言え、減塩生活はなかなか厳しく、少なくとも自分の場合は、禁煙の時以上の苦しみを強いられました。

今にしてみれば、味を足す(食べる際に調味料をつける)のが当然の食べ物でも、調理の段階で意外としっかり味がついており、特に味が薄いとも思わず何を加えずとも充分なおかずになることが多いのです。

例えばシュウマイやクリームコロッケ。前者はカラシ醤油、後者にはソースやタルタルソースをアタリマエのようにつけて食べる方も多いと思いますが、食べてみればカラシ醤油やタルタルソースがなくてもそこまで味が薄い物ではないと感じられると思います。

塩分がどうと言う物でもありませんが、インスタント麺の類には粉末や濃縮液状になったスープが麺や具材とは別に入っている商品も多く見られます。

試しに、それらのスープを全て使わずに調理してみると良く分かるでしょう。もちろん減らす量にも因るだろうけれど、少し減らしたぐらいでは、大して味の違いを実感できません。

たま〜にどうしても食べたくなってしまい、インスタント麺を食べることが今の俺にもあります。そんな時、使う"スープの素"の量は1/3程度です。残りは捨ててしまってる(申し訳ない…)ものの、それでも美味しく頂けます。

そんな今となって改めて考えると、かつては随分と余計な塩分を摂っていたなぁ、と。

怖いのは煙草やお酒と違って自覚がないこと。

煙草やお酒を減らさないと…と思っている時に喫煙したり飲酒したりすると、一種の罪悪感みたいなモノをいささかなりとも抱くと思います。確かに吸っている、確かに飲んでいる、と言う実感がありますから。

ところが余計な塩分の摂取には実感を伴わない場合も多いんです。

何せ『アタリマエ』と思っているワケですから。

幾ら減塩しているとは言え、(つける醤油の量は加減するにしても)お刺身を醤油なしで食べるのはちょっと変だし厳しいと思います。つまりお刺身に関しては醤油をつけて『アタリマエ』。同じように、シュウマイにはカラシ醤油、クリームコロッケにはタルタルソースが『アタリマエ』となっている。

『アタリマエ』だから「実は余計な塩分を摂っている」と言う自覚が持てない。

そこがちょっと怖い。

減塩を心掛けようとしている方、まずはそんな『アタリマエ』を捨てるトコロから初めてみては如何でしょうか。

何の味を足さなくとも充分に美味しく、立派なおかずになる物が結構あるかも知れませんよ。

何があったの。

たまに連続ドラマを鑑賞したりするのですが、最近の風潮なのか、『続編ありき』みたいな部分が気になって仕方ありません。

初めからテレビドラマの続きを映画として公開する目論見があったり、ちゃんと(現在進行形の)原作があったりして、もう続くことが前提となっていれば構わないのですが、何だか気になる設定や伏線を残しつつドラマは終了。その後どうも続く気配がない…、そんなケースは困ってしまいます。

恐らく、視聴率や評判が良かったりした場合の『あわよくば続編を…』的な制作サイドの思惑が見え隠れ…と言うかアカラサマに見え見えだったりするワケですが。

それで結果的に続編が作られ、全ての謎が回収されれば良いものの、大して話題にもならないドラマだと、その後はホッタラカシ。視聴者としては『えー!?』です。

かつて、檀れいさん主演の『福家警部補の挨拶』なるドラマがありました。大好きだった『古畑任三郎』と同じ、所謂"倒叙モノ"の推理ドラマで、『古畑〜』同様、ちょっとクセのある主人公が魅力(?)のドラマです。

ドラマで取り扱うメインの事件としては一話一話できちんと完結するのですが、一方で主人公の福家がやたらとポラロイド写真を撮り、その写真を撮ると言う行動の裏には何か紛争地域のような過酷な場所で一定期間を過ごした過去が関係しているかのような(漠然とした)描写があったり、普段はノラリクラリとしてツカミドコロのない福家が、こと暴力に関しては異常な拒否反応を示したりと、『壮絶な過去があった人』の匂いをプンプンさせており、その点に関しては最終話でもハッキリとせずドラマは終了。

余り話題にならなかったせいか、その後は続編の話も聞こえて来ません。

他にも特に具体例は挙げませんが、主人公の性格がヤタラ悪く、それも過去の壮絶な経験に由来するかのような(漠然とした)描き方をされていたり、主人公と他の登場人物との仲が異常に悪く、それも過去に何らかの因縁があったかのような(漠然とした)回想や過去の映像がフラッシュバック的に挿入されたりするだけと、何だか中途半端な印象を残すドラマを幾つか目にしました。

(そのようなドラマだと、大体、過去の優しく穏やかだった頃の主人公の様子だとか、件の登場人物と仲良くやっていた過去のシーンが印象的にチョイチョイ出て来るのだ)

「何もかもスッキリさせろ!」とまでは言わないにしろ、「描き切る気がないなら端から描かないで欲しい」と言う本音。

まぁ一話完結の連続ドラマですと、特に『今週は見なくて良いかな…』なんて思いがちですから、少しでも視聴者が見逃せない部分を設けたい気持ちは分からなくもないのですが、せっかく頑張って(?)見続けたのに謎が謎のまま中途半端に終わってしまうのでは消化不良です。

余りに極端だと、何か大事な回(やシーン)を実は自分だけ見逃してしまったのではないか?と疑心暗鬼に陥る程。

視聴率も大事でしょうが、下手な工夫をしなくとも毎週楽しみに観ていた視聴者のことも少し考えて欲しいと思うトコロです。

完全に愚痴ですな(笑)

まぁ人工透析の話題ばかりでもアレなんで、たまには普通の記事(このブログは元々気楽な日記です)なんてのも。

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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

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