かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2014年09月

今日の日記。

今日も血液透析を受けて来ました。

東京は雨の確率がほぼゼロとのことで、お気に入りの自転車に乗って。

自分の場合、血液透析は午後からですから、もう帰る頃にはすっかり夕闇です。

少し冷たい秋の風が吹いて、『気持ち良いなー』と。

いつも通院には余り大きな道路を使いません。交通量があるし信号も多いんで。

細い道を走っていると、一部、細い道がボルトネック状に更に細くなっている(クルマ2台が擦れ違えない)箇所に差し掛かりました。とは言え、その細い部分は精々10メートル程度で、すぐに幾らか太い道へ戻ります。そんな状況ですから、一方通行でも何でもなく、まぁドライバーさん同士で上手いこと譲り合ってちょうだいね、そんなような道。

後ろからクルマのヘッドライトで照らされていることは分かっていました。ただ印象からすれば俺の自転車とクルマの距離はそれなりにあるような感じです。

構わずそのまま細い部分に進入すると、いきなりと言うか、激しくクラクションを鳴らされました。

背後のクルマが「邪魔だ」とでも言っているのでしょう。こちらもこちらで目一杯左に寄って走行していましたし、どうすることもできず、道路の左側にあった民家のブロック塀に寄り掛かるようにして、自転車を停めました。

少しあって、クラクションを鳴らしていたクルマが、停まっている俺の横を結構な勢いで走り抜いて行きました。

タイミングから推して、両者ともそのままの速度を保ち走っていれば、すぐにボルトネックを通過し、クルマの方が素直に追い抜いて行けるような状況でした。

『クラクションまで鳴らすことないのになー』と思いつつクルマの背後を見送ると、そこには白いリボンのステッカーが。

その時はホワイトリボンの意味が良く分からなかったものの、各種リボンに余り悪い意味があるとは思えません。

基本的にあの類のリボンには「平和を守ろう!」とか「社会的弱者を守ろう!」みたいな意味が込められているのでしょう。

よりによって、そんなようなリボンを掲げたクルマに煽られるとは…。

苛立つより、ちょっと哀しくなりました。

やっぱりあの手のリボンは単なるファッションと化しているのかなぁ。

夢と雨と。

血液透析を受けている間の4時間は長いのに、血液透析から戻り自宅で色々とやっていると4時間もアッと言う間です。

今日は台風16号の影響で、東京でも夕方頃から雨になるとのことで、いつもの自転車は置いたまま、傘と念の為の雨ガッパまで持って血液透析へ出掛けたものの、結局は降られず仕舞い。

一方で、ほとんど雨の予報が出ていなかった月曜日は、全く何の警戒もせず自転車で血液透析へ出掛け、帰りは雨にやられてしまいました。

その月曜日、血液透析を受けつつうたた寝をしていると、珍しく30年ほど前に亡くなった大好きな祖父の夢を見たのです。

「おい。お彼岸だよ」

と祖父。

「うん。知ってる」

と俺。

お祖父ちゃんが続けます。

「お墓参りには来るのかい?」

「あー。面倒だから行かない」

全ては夢のハナシ。「面倒だから行かない」と言うのも自分の意思ではなく、夢の中での俺が勝手に言ったこと。もちろんと言うか、血液透析のない日にでもお墓参りには行く気でいました。

しかし夢の中の祖父はガッカリしたような、ちょっと腹を立てたような顔をして、消えたような気がします。(最後の方は記憶が曖昧)

そして血液透析が終わり表へ出てみれば上記の通り大粒の雨です。

『あー。こりゃお祖父ちゃんが怒ったな』

なんて。幽霊の類は信じていないんですけれども。何となく、そんな気持ち。

お彼岸も中日である秋分の日を過ぎ、26日には明けてしまいます。そして26日は金曜日で俺には血液透析がある。

従って、お墓参りへ行くとすれば、明日の木曜日しかないとは言え、明日は明日でそれこそ(温帯低気圧に変わった)台風の影響で、雨からは逃れられそうにありません。

雨ではお線香を上げるにも不自由ですが、お墓へ行って手だけでも合わせて来ようと思っています。(あ。お祖父ちゃんのお墓はウチから歩いて行ける程度のご近所です)

別に夢で怒られたからじゃなく。元々行く気はありましたし。

…でも正直に言えば『雨でも行くか…』と思っているのは夢のせいかも(笑)

「行かない」と言ったら雨を降らせたのだから、行く時には雨をやませてくれないかなぁ。

喉は乾いている。

金曜日の血液透析前から何も食べていません。

明日になればやっと食事にありつけます。

不思議なもので、金曜日の段階では『土曜も日曜も何も食べないんだから月曜日になったら好きな物を食べてやるぞ。カツ丼が良いかな?ハンバーグが良いかな?』なんて意気込んだりするのですが、空腹のピークである日曜の昼頃から除々に食欲は減って行き、いざ月曜日ともなると、カツ丼やハンバーグではピンと来ず、何故だかシンプルな納豆ごはんであるとか、『久し振りの食事でそれ?』みたいな物を食べていたりします。

とにかく胃腸は丈夫ですから、良く噛んで食べるよう心掛けているとは言え、久し振りの食事で急にカツ丼やハンバーグのようなこってりした物を食べると、胃もたれがするとか胸焼けがすると言ったワケでもなく、単に食べたくなくなるのです。

今もそんな感じで、果たして食べたい物が良く分かりません。

食べなければ食べないで、一週間ぐらいなら何とかなるんじゃないか?そんな思いさえして来ます。

もっとも今より痩せたくない(太っていた頃には想像すらしなかった悩み…。今は身長168.5cmの体重53kgです)のも事実ですから、食べられる時にしっかり食べておかないと。

こう言う時に、減量中に学んだ『想像以上にカロリーが高い食品』みたいな知識が逆の意味で役に立ったりするんです(^_^;;)

近頃も色々な方から「また痩せた?」と言われる状況が増えて来たので、ちょっと肉を付けないと…。

食べる気になれば何でも食べられるとは言え、週に三回の貴重な食事…と考えると、つい自分が食べたい物ばかりを食べてしまいます。

そう書くと、いかにも不摂生な食生活をしているように聞こえるかも知れませんが、先も書いた通り、食べたい物は納豆ごはんだとか茹で野菜だとか寧ろシンプルで健康的と言えば健康的。

そのような物を体が求めていると言うことなのでしょうか。

おかげで確かに血液検査の結果は非常に良好。

ただ痩せてしまうのがなぁ…(+_+)

つくづく、体重の管理は難しいです。

ただいま。

今日は第一の副業で出掛けていました。

痩せて脂肪が余りなくなってしまったせいか、今日はやたらと寒く感じ、部屋の中ではほとんど真冬の格好です。

実を言えば今も布団に包まりたい気分。

独身で家族はありませんから、「ただいまー」と帰って来ても、返事をする者がおりません。

そう言えば、"良い言葉"や"素晴らしい日本語"、みたいなことが話題になったりしますが、「おかえりなさい」も何だか安心するような心が暖まるような響きを持つ言葉だと思います。

咄嗟に具体例を思い出すことはできないのだけれど、例えば映画やアニメーション等の創作世界でも

「ただいま」

「おかえりなさい」

と言う台詞のヤリトリが、単なる帰宅の挨拶としてではなく、それ以外のもっと深い何らかの象徴として表現されている作品があった気がします。

良く考えたら面白い言葉です。「かえりなさい」であれば「元の場所へ戻りなさい」と言う意味、つまり「本来自分がいるべき場所でない場所にいる」こととなるのに、「おかえりなさい」と『お』の一文字が付いただけで「本来自分がいるべき場所へ戻って来られた」と言う意味になる。

そして言葉から受け取る印象としては、「あなたのいるべき場所はここで良いんだよ」、「良く戻って来たね」みたいな、何だかいてアタリマエの場所へ戻って来ただけなのに、それを感謝され歓迎されているかのような気持ちになれる。

他にも暖かみがある言葉としての「ありがとう」や「いらっしゃい」みたいな多くの言葉や挨拶は、クチにする人の気持ちがこもっているかどうかは別として、お店などで耳にすることが多々あれど、「おかえりなさい」を家族以外の方から仰って頂けるケースは滅多にないと思います。(居酒屋さんか何かで他店との差別化の一環として「いらっしゃいませ」の声掛けを「おかえりなさい」としている店舗はありそうだけれど、それこそ気持ちも何もあったものではないでしょう)

元々両親や家族とは良好な関係ではない為、そんな暖かな気持ちになれる「おかえりなさい」を言われた記憶がありせん。

だからどこにいても場違いみたいな、自分の居場所がないみたいな、いつもそんな思いが付き纏うのでしょうか。

いつか言われてみたいな。

おかえりなさい。

通信制。

2015年の4月に生徒のアバターが通う通信制高校が日本初開校。

面白い試みですね。詳細は不明ながら、記事の内容からするに、運営するのはちゃんとした学校法人のようだし、冗談半分のサービスでもなさそう。

授業への取り組み等でポイントが貯まり、貯まったポイントがアバターアイテムになったりする点もイマドキな感じ。

頑張ると"レアなアイテム"がゲットできたりもするんでしょうか。

そのようなお遊び的要素は別として、今はパソコンとインターネット環境さえあれば充分な仕事となってしまう商売も多々ありそう(詳しい業務内容は秘密とさせて頂くが俺の第二の副業もそんな感じだ)ですし、そのような就業スタイルの職場が今よりも増えて行けば、起業や事業拡大もし易そう(大規模なオフィスを構えなくても済む等)な上、どうしても都市部に労働人口が集中してしまう…と言った問題も解決できそうな気がします。

後は俺もそう(人工透析患者は身体障害者の扱い)ですが、障害者の雇用機会の拡大にも繋がるのではないでしょうか。

自宅で仕事ができれば、ある意味でバリアフリーです。

クルマ椅子で通勤自体が困難な方、或いは精神的な問題を抱え人目に晒されるような状況では苦痛を感じて本領を発揮できない方があるかも知れません。それから自身の病気の治療や育児、介護等の関係で、時間的に就労が制限されている場合も。

そのような就業スタイルが確立されれば、血液透析を受けながらでもどうにか仕事ができそうです。(俺が通っている施設では何の設備もないが、インターネットに接続されたパソコンが各ベッドに備えてある透析施設も存在する)

本来であれば電車で揺られているばかりの通勤時間も無駄なく使え、雇う側としても支給すべきだった交通費を節約できます。

もちろん、必要な時は必要な時で面と向かって仕事をすれば良いだけのハナシで、逆に考えれば、上司や同僚に挨拶だけして、後はひたすらパソコンに向かっているような作業が長く続く場合、「それって家から出なくても仕事になっちゃうんじゃない?」なんて思えるワケで。

社員がサボるにしたって最終的な納期や締切の期限さえ守られていれば、幾らサボろうが何をしようが会社としては問題ないでしょう。つまりは働く側もメリハリを付けて仕事ができる。

今は文字だけをヤリトリするだけでなく、音声や生の映像さえも簡単に送受信できる時代。

そんな未来が来るのかも知れません。

そしたら誰か雇ってくんないかなぁ(笑)
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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

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