かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2015年08月

箱の中の記憶…3。

そんな彼も高校生となった。

家庭は相変わらずである。

彼にも些末ながら知恵は付き、やがて母親とも口喧嘩に似たようなことぐらいはするようになった。

今でも強く覚えているやり取りがある。

「そんなに俺が憎いなら、いっそ殺せば良いだろう?」

「どうして私があんたのせいで一生を棒に振らなきゃならないの?」

彼を殺すにやぶさかでないが、ただ子殺しとあっては大きな罪を背負わねばならず、相応の罰も受ける。それを彼女は嫌ったのだ。

とことん何もない。彼女の中に自分に対する感傷はない。

そう確信して以来、彼は母親に感情をぶつけることをやめた。

時は経つ。彼も四十になろうとしていた。母親の件とは無関係に、まだ独身である。

何故か彼は可愛らしい物を好む。自分でも良い歳をしてと思うところはあるも、例えばウェブ上で用いる自己を表現するアイコンやアバターであるとか、余り人目に晒されない小物であるとか、特に自己満足的に所有する物品に関しては、子供じみた可愛らしい物を好んで用いた。

理由は自分でも分からない。

分からないが、そんな可愛らしい品々を見るに付け、幼い頃、運動会や遠足で母親が持たせてくれた可愛らしいデザインの弁当箱や、愛くるしいキャラクターがプリントされた布を使って母親がこしらえてくれた学校で使う諸々の道具を入れる巾着袋、そんな物を思い出すのだ。

そして思い出しては少し照れくさい嬉しさと、腹立たしいぐらいの憎たらしさと、ぽっかりと開いた穴のような虚しさに襲われるのであった。

(注:このお話はフィクションだと思います)

箱の中の記憶…2。

相変わらず学校ではイジメが続いていたが、いわゆるガキ大将のような立場の人間がいて、彼の誕生日会には出席しなければならなかった。

一種の道化としてであり、また彼への貢ぎ物たる誕生日プレゼントも持参しなければならなかった。しかし、そのような時も

「友達の誕生日会があってプレゼントを持って行く」

と告げれば母親は小遣いを渡して寄越した。そこにもやはり良い家庭だと思わせたい見栄のような心理が働くのか、それなりの金額である。

また、当時の慣例として、誰かの誕生日会に招かれたら自分の誕生日会にもその人物を招かねばならない暗黙のルールめいたものがあり、ガキ大将の誕生日会に呼ばれてしまった以上、こちらとしてもガキ大将を自分の誕生日会に招かねばならなかった。

今のイジメと当時のイジメとでは違う部分があるのかもしれないが、少なくとも当時は割りと親の存在が大きく、子供にとっては恐ろしくもあり、たとえイジメっ子であってもイジメている子の親にどこかで会えば

「おばさん、こんにちは」

等と妙な律儀さで挨拶するところがあった。

従って、イジメている人間の自宅で開催される誕生日会とあっては、日頃のイジメっ子たちも大人しいもので、くだらない物であるにしろ、一応プレゼントも用意して来てくれる。一つ100円もしないカレーの匂いがする消しゴムであるとか、見たこともないキャラクターが描かれたメモ帳であるとか、つくづくくだらない物ではあったけれど。

そんな時も母親は誕生日会に招いた子たちの目を人目と判断し、きちんとケーキやちらし寿司のような物を用意して、来客用のテーブルには豪勢な料理が並んだ。

イジメっ子たちに彼へ対する特別な思いがあるはずはなく、そのような馳走を食べるだけ食べ終えれば

「おばさん、ごちそうさまでした」

と行儀良く帰って行く。

もちろん、誕生日会が開かれた以上、その日は彼の誕生日であり、夜ともなれば今度は家族との誕生日会が待っていても良さそうなものであるが、それが開かれた記憶はない。いつもと変わらぬ冷たく静かな夜があるだけだ。

恐ろしいことに、これら一連の行為は母親による綿密な根回しと共に行われていたらしく、彼に物心が付き、いよいよ自分の家庭がおかしいと確信した頃には、もう手遅れとなってもいたのである。

家庭内で受けている仕打ちを周囲へ訴えても、

「あのお母さんに限ってそんなことがあるはずはない」

と、寧ろ彼が「嘘吐き少年」のレッテルを貼られ、更に追い込まれる結果となり、そのようなことを触れて回っていたことが母親の耳に及べば、彼が人目のない場所でどのような目に遭わされたかは想像に難くないだろう。

箱の中の記憶…1。

彼の記憶に強く残っている母親からの言葉は

「あんたの血は穢れている」

だった。記憶が確かなら、その言葉を初めて投げ掛けられたのは、彼がまだ幼稚園に通っていた頃だ。

「あんたの血は穢れている」

まだ『ケガレ』の意味も分からない程、幼かった頃。ただ、その時の忌々しげな母親の表情から、少なくとも褒められているワケではなさそうだ、と言うことだけは幼いながらに理解した。

決して虐待はなかった。四十が手に届こうかと言う年齢になってからも、彼はそう思っている。いや『思いたい』が正確か。

何故、両親が冷たく自分に当たるのか。何故、家庭全体を暗さが覆っているのか。それを理解するには、彼が十歳になる頃まで待たなくてはならない。

それまでも、幼いながらに疑問は抱いていた。

どうやら自分の家庭はおかしい。

特に母親の二面性は余りに極端であった。

親子で買い物に行けば傍目には理想的な母親に映ったと思う。決して裕福な家庭ではなかったが、彼が菓子を欲せれば買い与え

「今夜のおかずは何にしようか?」

それはそれはにこやかに息子に問う。

「良いお母さんだね」

近所の商店街の店主や見知った客たちは皆、口々にそう言ったものだ。

それが家の玄関に入るなり豹変する。能面のような顔。そしてむっつりとし、黙々と夕餉の支度を始めた。

いってらっしゃい。おやすみなさい。おはよう。

そんな当たり前の挨拶さえ、両親の口から聞いた覚えが彼にはない。

朝、起きると、やはり黙々と朝食の準備が始まり、それなりの朝食が食卓に並ぶ。決して粗末な食事ではなかったものの、何の会話もなく口にする食事は、何とも味気なかった。

彼の通う小学校では昼食に給食が出された。給食の時間には決められた班ごとに机を並べ給食を食べるわけだが、いじめられていた彼は無視されがちで、やはり一人で黙々と箸を進めることが多かった。

無視をされている時はまだ良い。ひどい時には校内用の履物を浸したスープを飲まされる。当時は何かとうるさい時代で、給食は完食が絶対であり、残したら残したで食べ終わるまで昼休みを取ることさえ許されなかったのである。

もちろん、スープに履物を浸す行為は教師の見えない場所で行われ、そのことを教師に告げれば「ちくった」と更に酷い目に遭わされた。

学校ではお決まりの行事もある。運動会に遠足、その他諸々。

そのような時は弁当を持参するのだが、彼の弁当は丁寧に盛り付けられた惣菜が、可愛らしい弁当箱に収められ、やはり可愛らしい図案の入った布で包まれていた。

それを見た教師が言う。

「旨そうな弁当だなぁ。良いお母さんで恵まれているね」

ただ彼はその弁当が作られた過程を知っている。やはり能面のような冷たい顔で黙々と作られた弁当。見た目だけは鮮やかで華やかなれど、そこには何の想いも込められていない、食べる時の温度と同じ、温もりのない冷えた弁当。

そんな冷たい弁当を、友達のなかった彼は一人、食べた。

いつだったか、酷いいじめを受け、怪我をして帰宅したことがあった。表情のない母親が訊く。

「どうしたの。それ」

いじめに耐え兼ねていた彼は素直に実情を話した。母親のリアクションは

「あ。そう」

だった。

母親は傷絆創膏やら湿布薬を箱ごと投げて寄越し、

「貼っておきなさい」

とだけ言った。そこにも彼は愛情を感じない。ただ彼女が子供の傷に対し何の処置もしない母親だとは周囲に思われたくないらしいと言うことだけが何となく分かった。

そうなのだ。

彼女はとにかく自らが冷たい母親、子供に対し無関心な母親だと周囲に思われることを避けたかったのだろう。

だから人目がある時だけは理想的な母親に変貌する。

人の目に入る彼の衣類もそれなりの物をちゃんと着させていたし、先に述べた弁当に関してもそうだ。

誰かの目から見る限り、理想的な親子と感じられたに違いない。

そんなことを薄々悟り、彼なりの抵抗として、彼が母と人前にある時、母親に対して反抗的な態度を取ろうものなら、人目のない自宅で陰湿な説教が待っていた。

食事もさせず、風呂にも入れさせず、眠らせず、夕方から深夜まで陰湿な説教は続く。無論、彼の肉体に誰の目からも明らかな傷を付けるような真似はしない。

それを避ける為には、彼も理想的な親子であるところの息子を演じる必要があった。

「今夜は何が食べたい?」
「カレー!カレーが良いよ!」
「そう?カレーかぁ。ウチにじゃがいもとたまねぎはあるからニンジンを買って行かなきゃね」
「えー!ニンジンなんていらないよー」
「あはは。ニンジンのないカレーなんて聞いたことなーい」

それだけ見れば仲の良い親子だ。それも自宅の玄関まで。玄関のドアが閉められた瞬間、母の顔は再び能面と化した。

傘も盗まれるし。

第一の副業から戻りました。

今日は今朝から何だか疲れていてクタクタ…(+_+)

普段は当然ながら朝には布団をたたんでから出かける(ベッドが好きではないので布団生活者です)のですが、今朝は布団もそのままにウチを出、今も帰宅するなり敷き放しにしてあった布団の中でブログを書いています。

神経質でいささか潔癖な部分もあり、入浴もせず、部屋着には着替えたにしても、帰宅してそのまま布団へ入るなんて、いつもの自分からはちょっと考えにくいこと。

確かにちょっとした気持ち悪さはあれ、それでも疲労と、涼しさを通り越した寒さに、布団へ入れずにはいられず。

とりあえず熱はないようですが。

明日、食事をしたら少しは元気になるかなぁ。ちょっと今は明日の食事をこしらえることが億劫に思えて仕方ありません。

参った参った。

このまま少し寝てしまうかも。

おあずけ。

第一の副業から戻りました。

…って帰りにだいぶ寄り道しちゃったけど。

今日の東京、俺には肌寒いぐらいです。このまま冬になっちゃうことはないよね?また幾らか暑くなったりもするのかなー。

そんな気候のせいだか、何だかかったるくて、眠い。

眠いとはいえ、まだ19時になったばかり。

今から寝たら夜中に目の覚める羽目になるでしょう。

でも眠い(+_+)

寝る前には布団へ入って少し読書するのを習慣にしているのだけれど、その際に使っていた電気スタンドが壊れてしまい、寝転がっての読書が難しくなってしまいました。

もちろん部屋の照明(シーリングライト)を点けておいても本は読めますが、寝る前の読書では、眠くなり次第そのまま寝てしまうのが気持ち良かったりもして、やはり枕元に置けて布団へ入ったまま手を伸ばせば簡単に消すこともできる読書灯のような物の方が便利です。

部屋の照明の場合は、いちいち起き抜けて、スイッチのある場所まで行かないと消灯させられませんから。

今日も仕事のついで、ぷらぷらと電気スタンドを探してはみたものの、条件に合う品物が見つかりませんでした。

枕元に置いて使うという条件がある為、割りと大きさが重要だったりもし、なるべくコンパクトで邪魔にならぬ物が望ましく、かつ倒れにくい物(余り小さく軽い物だと、デザインによってはコテンコテンと頻繁に倒れてしまう)が良いのです。

そのような条件から、写真のイメージだけで安易にネット通販を利用するのも不安で。サイズにしても冷蔵庫とか電子レンジみたいに四角い物ではありませんから、通販サイトのサイズ表記は何だかアテにならんのですよ。

…。

えぇ。

はい。

既に一度、ネット通販で失敗しております(笑)

温かい布団の中で読書し、そのまま、いわゆる「寝落ち」のように眠るのが気持ち良いんだけどなぁ。
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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

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