かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2016年07月

既に抜けています。

今日もお昼までお仕事だったのだけれど、梅雨も明けて、夏本番の暑さにちょっとやられてしまったみたいです。

とはいえ、まだかつての真夏の頃にあったような、

生命の危機を感じる程の暑さ

には程遠く、

そろそろ8月も間近の割りには大した猛暑でもない

といった印象ですが。

いずれにせよ俺の場合は何も飲まず食わずで動き回るという無茶をしてるからな(^_^;; 暑さにも負けやすいのでしょう。

これから都知事選の投票へ行って参ります。

仕事が午後までに終わることはあらかじめ分かっておりましたから、朝一番で投票所へ寄って行けば良かったものを、後回しにしてしまったのです。

それから、ここより先は全く違う話題となるのだけれど、文字数制限があるTwitterと違い、ブログには文字の制限が設けられていない為、

せっかく書くなら長文を…(短い文で済むならTwitterの方へ書くべきだ)

なんて、面倒な義務感に近いようなものに囚われている自分がいることに気付きました。

恐らく、そのせいで、ブログの更新が、時折、少し億劫になってしまっていたのだと思います。

勢いだけで書こうと思えば、ほんの数行で終わってしまいそうなトコロを、何とか自分として満足(許容)できるブログ記事の文量となるまで、膨らます必要が出る為です。

さすがに、Twitterの1ポストに於ける制限文字数である140文字は余りに少な過ぎるとは思えど、別にブログだから長い文章を書かなければならないという決まりもございません。

事実、ブログをTwitterが如く用い、1日に複数の記事を上げる一方で、一つの記事に当たっては

「お昼ごはん食べました」

「眠い…」

なんて、それだけの方もいらっしゃいます。

ブログを長く続けている内、自分なりの様々なこだわりや制約がいつの間にか生まれ、何とかそれに準じようとしている自分、そしてその縛りに軽い疲弊を感じている自分がいることに気付かされました。

その辺り、

所詮は単なる公開日記であり俺の自由

と改めて了知し、余り強く気構えず、もっとブログを楽しもうかと思います。

そんなワケで、もしかすると、今後は、気の抜けた記事が増えるかも知れませんが、お許し願えれば幸いです。

もっとも、俺の中にある、ある種の単純な覚悟のハナシ。読んで下さる皆さんには大した差異も感じられないかも知れないけれど。

黒い箱の瘴気。

今日のお仕事は午前中まででした。

帰りの道中、『今日のブログには何を書くかなぁ』等と考えていて、

ふと、自分の性格的なことに付いて色々と思いを巡らせておりました。

例えば、俺はヤタラと神経質で、更には大いに不完全な人間であるにも関わらず完璧主義者であったりもして、まず人の目に触れることのない、自分の日記(このブログとは違い、帳面に付けている極めて個人的な日記です)の誤字や脱字、更には不格好になってしまっただけのタダの一文字さえ許すことができず、日記帳として用いている方眼ノートの方眼一マスと寸分違わぬ大きさに切った白い紙を、同じくノートの方眼から寸分もズレることなく丁寧に貼り付け、その上で文字を修正する、なんて愚かな行為をしているのです。

その修正用に切った紙がノートの方眼の大きさや形と少しでも違っていれば再び修正用の紙をイチから作り直し、貼り付けが上手く行かなければ何とかして帳面が汚くならぬ具合に剥がして貼り直そうと試みます。

もちろん、修正ペンや修正テープといった便利な文具が売られていることは存じています。しかし、それらでは俺の満足の行くような修正ができぬのです。

もっとも、全ては俺の感覚や価値観の内にあり、サジ加減一つ、他人様から見て、

この字は汚くて許せないのに、こっちの少し歪んで見える文字は許せるの?

と疑問に感じられることも多々あるように思われますが。

そのような気難しさの根本を考えておりますと、古い古い、まだ俺の幼かった頃の記憶が思い出されました。

嫌な、とても嫌な、記憶です。

漢字の書き取りか何かの宿題を、母親に見られています。

勉強を見てくれている

というより、

監視

です。

母親の手には常に消しゴムが握られており、もし俺が書き取りの字を誤ったり、母親から見て少しでも下手な字を書こうものなら、問答無用で母親の手が伸び、俺に対しては恐ろしく乱暴に、でもその書き取り用のノートやプリントに対しては素晴らしく丁寧に、その間違われた不完全な文字を消して参ります。

母親に声はなく、その電光石火の動きから、俺には書き取った文字のどこを間違ってしまったのか、何が母親には気に入らなかったのか、説明されることもなければ、知る由もありません。

そんなことが頻繁に繰り返されていたのです。

文字の正確さを第一とする漢字の書き取り以外でも似たようなことはあり、例えば字の丁寧さは二の次であろう算数の宿題に於いても同様の仕打ちは行われておりました。

今にして思えば、俺と違わず母親も無学な人間でしたから、仮に相手が小学生の宿題であろうと、その意味や内容が彼女には良く分かっていなかったのだと想像します。

精々字が汚いか上手く書けているか、ぐらいのことしか母親には分からなかったのでしょう。

正面に座った母親から受ける威圧。時として理由も分からず伸び来たる消しゴムの握られた手。

そのような記憶へ久し振りに触れましたトコロ、非常に不快な思いが致しました。

今こうして、当時のその様を思い出しつつ文章化していても、深く淀んだココロの澱がドロドロと湧いて来るような…。

この辺りが限界です。

このようにパソコンで打ち込む文字は整然としていて美しく、書くにもそこまでの緊張は要らず、楽しく書けます。

それでも誤字や脱字とは無縁ではありません。

そしてまた今日もしつこいぐらいに書いた記事を見直すのです。見直しては誤字や脱字を正すのです。

何かの拍子に何年も前の古い記事の中に誤字や脱字を見付けてしまい、そんな古い記事のたった一つの誤字や脱字に誰が気付こうワケでもないのに修正していることが度々あります。

俺にとって誤字や脱字は、あの恐ろしい母親の消しゴムと今でも等号(イコール)で結ばれているのでしょう。

そんな自分に吐き気のする思いです。

1/24の言語遊戯。

うん。

日付が変わっちまいましたな。

イイカゲン、シャントのエコー検査のハナシを引っ張り続けても、しつこく思われるだけでしょう。

というワケで、書くことがありません(笑)

そろそろ不安解消に伴う妙な多幸感(上記リンク先参照)からも脱しつつあり、心は穏やかに落ち着いております。

本日は金曜日で、今週最後の血液透析を受けさせて頂ける日。

速いなぁ。

基本的にお客さんの都合から、土日祝日(一般的な休日)には第一の副業が充てられ、その他ウィークデーには第二の副業をしていることが多いのだけれど、もう直近の第一の副業から(ほぼ)一週間が経っているなんて、いまいち実感が湧きませぬもの。

歳を取るワケですよね…。

片や、血液透析を受けている間の、高々4時間が長い長い。

以前にも書いたことかと存じますが、つくづく時間は不思議です。

この記事を書き始めたのは、ちょうど今日の0時30分。

書くことがない!

何とか引き延ばさなくては…!

なんて思いながら書いている内、もう1時20分近くになっちゃった(^_^;;

いつもはもうちょっと速く書けるんですよ。書くことさえあれば…だけれど(笑)

勢いでザーッと書いて、後の見直しの方に時間が掛かるぐらいで。

最近は「予測変換」なんて便利なものがありますから、うっかりすると、単なる誤字脱字じゃ済まなくなってしまうんです。

寧ろ「予測変換」により、余計な文言が付け加えられてしまっていたりして。"脱字"ならぬ"加字"とでもいうかな。

今もキーボードから「じかん」と打つだけで、変換候補の中には、今回の記事で先に使った

時間は不思議です

が変換候補として出て来ます。

従って、

そろそろ時間なので失礼致します

と書くべきトコロが、予測変換により

そろそろ時間は不思議ですなので失礼致します

なんて、意味不明な文章になっちゃったりね。

もう1時30分になっちゃうや。

1日の内の1/24をブログに費やしている勘定になります(^_^;;

やっぱり楽しい時間はアッと言う間なのですね。

では。今夜はお仕事もしなければなりませんし、

そろそろ時間なので失礼致します。

"加字"はないかな?

大丈夫そうですね。

しからば、また。

愁眉を開いてナチュラルハイ。

昨日のシャントのエコー検査に於いて、特に悪い結果が出たワケでもなかった為、いつも通りの朝を迎え、いつも通りの日常を過ごしております。

もしも結果が悪かったとすれば、もしかすると今頃は、方々当たってシャントの故障を治して下さる所を懸命に探している頃かも知れません。

それに伴い仕事関係の連絡をする。いちおう親戚関係にも事情を伝えておく。

血液透析はこちらの都合を待ってはくれませんから、それに使用するシャントの治療となれば、血液透析と血液透析の間を縫うようにして行う必要が出て来ます。

また治療に際して、

一時的に今のシャントが使えないような事態

が万が一にも発生したとすれば、それこそ人工のカテーテルのような物を埋め込み、しばらく入院(しながらの血液透析)をするような必要が出たかも知れません。

(以上のこと、あくまで俺の想像です)

そのようなことを考えていますと、今ある何でもない日常が、とても幸せなことに思え、この梅雨明け(関東甲信地方は本日午前中に梅雨が明けました)の蒸し暑さも、やかましい蝉の声も、夏を通り越して秋になってしまったんではないかと思わせる澄んで高い空の青も、何もかもが特別なことのように感じ、今朝から心のツカエやワダカマリのようなモノの失せた、実に清々しい気分を享受しております。

改めて考えれば、人々が憧れるような

セレブな方々

も、そりゃ

トータルで見れば幸せ

であることには違いないのかも知れませんが、

常に幸せを感じている

とは限りませんし、スポーツ選手にしろ、映画スターにしろ、たとえば

好きなことを仕事にしている

にしたって、仕事は仕事、大変だったり、人知れずご苦労されることも多々あることと存じます。

詰まるトコロ、人間多しといえども、実は

今この瞬間(或いは今日)ひしひしと幸せを感じている人間

はそんなにいないように想像でき、そうなると、今の俺は、恐らく

地球上で(今)幸せな人ベスト1億

ぐらいには入っているような気がし、そう思えば思う程、幸せの度合いは強くなり、今も現在進行形で

幸せランキング上昇中

です。たぶん(笑)←恐らく不安に思っていたことから解放されて軽い躁のような状態に陥っているのだろう。脳から何かが出てしまっているのだ。

いつもであれば

お金がたくさんあったら楽だろうなぁ

とか

綺麗な奥さんがいたらなぁ

とか

そんなような、

『今の自分にないこと』

にこそ幸せを見出しがちだけれど、

『今の自分も最悪ではない』

とある種の満足を知ってしまえば、

意外と今の自分も捨てたもんじゃないんだなぁ

なんて。

そんなんで、今日は良い気分です(笑)

とはいえ、人生に不安やトラブルは付きもの。

今日は急上昇した幸せランキングも、明日にはだだ下がりの可能性が…(^_^;;

まぁ…

今が良きゃ良いです。今は(笑)

無事是幸。

本日の血液透析から戻りました。

懸念していたシャントのエコー検査ですが、

「確かに瘤(リュウ、コブ)っちゃ瘤だが、血液透析するにも問題はないようだし、特に何か手を加えなければならないような問題は見当たらない」

とのことで、まずは大丈夫なようです(^_^)

とりあえず今回の検査で一通りのデータ(恐らく血管のどの位置の太さは何mmで…みたいなものでしょう)は取られた為、だいたい1年後に同じ検査をし、今の血管と比較して、極端に細くなっているとか、或いは太くなっているとか、そのようなことがあれば、改めて対応するカタチとなりました。

何にせよ一安心です(^_^)

自らの不安から、お読みになられた方々が、どのような気持ちになるかを慮る余裕もなく、勢い

血管が破裂する可能性がある

入院することになったらどうしよう

等と、読者の皆さんまで己の不安に巻き込むが如き記事を書いてしまったことを反省しております。

ごめんなさい。

以上の結果ですので、どうかご心配なく。

取り急ぎ、ご報告まで。
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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

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