かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2016年12月

自分なりに整理。

当ブログを読んで下さっている直接の知り合いから

『オバケを信じていない』、『死んだらポンと消えておしまい』と書いておきながら、『あの世で人気者になりたい』等と書く。おまえの宗教観は一体どうなっているのだ?」

との質問を頂きました。

なるほど。確かに矛盾しているようにも見えます。

こんなことはいつ書いても良いことだし、この年の瀬に書くようなことでもない気がするのだけれど、ネタが新鮮(?)な内に書いておくことと致しました。

もしかすると、ちゃんと説明できたとしても、やはり矛盾と感じられる方は出ると考えられ、その点だけは先に書いておきます(^_^;;

確かに、オカルト的な事象も含め、オカルトとはだいぶズレてしまいますが、例えば(超越的な存在としての)神さまや仏さまの存在も信じておりません。

信じていないというか、"何かしらの超越的な存在"はあるに違いない一方、それは分かりやすい、ある特定の神さまであったり、仏さまのカタチを取ってはいないと考えているのです。

つまりは、世の中にある"自然の摂理"みたいなモノが、いうなれば神さまであり仏さまである、みたいな考え方でしょうか。

従って、「無神論者」というより、いわば「多神論者」なのです。

それには神さまだとか仏さまだとかの名前もなく、世の中にある全てに遍在しているのだと。

逆に述べれば、神社にだって神さまはちゃんとおわしますし、教会にもいれば、お寺にもいて、神棚にも、お仏壇にも、お墓にも、お地蔵さんにも、何かそれぞれの神さま的なモノ、仏さま的なモノは宿っておられると考えています。

もっと突っ込んだ書き方をしてしまうと、全く"そのような事柄"とは関係のない、自動車だとか、機械だとか、動物だとか、人間だとか、そのようなモノにだって、ある種の神性は備わっていると思うんですね。

ですから、

「俺はオバケも神さまも信じないよ。そんなの馬鹿馬鹿しい。いないに決まってら!」

とうそぶいては墓石を蹴飛ばしたり、神社の境内で狼藉を働いたり、各種(あらゆる宗教に於ける)法事や祭事を愚かで無駄な行為と断じるつもりもサラサラございません。

自分で死んだらポンと消えておしまいとは書いた一方、死とはそこまで無情なものではないとも考えており、

そうだなぁ…。何と説明して良いやら迷うトコロなのだけれど、

おにぎり、ありますよね。食べ物の。あれ、俺なんかは全く平気なのですが、人によっては、

「他人が素手で握ったおにぎりなんて食べられない!」

と仰る方もあると聞き及びます。乱暴な書き方をお許し願えれば、いささかクチにするには対抗のある汚い物であるかのように感じられてしまうのでしょう。理屈としては分からなくもありません。

一方、普通に食べられるおにぎりを、地面に落としてしまったとしましょうか。砂が付いちゃったり、泥が付いちゃったりして、ちょっと食べられそうにない。これもまた、クチにするには心理的な抵抗が生まれます。

どちらの場合もおにぎりは食べられません。もしかすると、モッタイナイことに、捨てる外ないかも知れない。

ただ、そのおにぎりを、「もう食べられなくなっちゃった汚い物だから」といって、足で踏ん付けたり、蹴っ飛ばして遊んだりってことはしにくくないです?

もちろん、『別に平気だけど?どうせゴミじゃん?』と仰る方もあるかとは存じますが、

『いや、いくら食べられなくなってしまったおにぎりとはいえ、仮にも食べ物を踏ん付けたり蹴っ飛ばしたりするのは、ちょっと…』

と少なからず躊躇いの出る方もある気がするのです。

それと俺の宗教観(?)は少し似ていて、

どうせ信じてないし、ご利益も何もないと思っているし、ドーデモイイっちゃドーデモイイのだけれども、だからといって粗末にしたり、乱暴に扱ったりするのも違う

みたいな。

却って分かりにくいかな(^_^;;

そんなワケで、自分としては『自分が死んだらポンとおしまいだ』と思いながらも、どなたかの葬儀に出席しつつ『こんな阿呆みたいな儀式に…』とは微塵も思いませんし、命を失った瞬間にポンと消えてしまう(予定の)俺に対し、少しでも哀しんで下さる方があるとすれば、それを『無駄なことを』と思うこともなく、それはそれ、非常に嬉しく感じると思います。(すっかり消えちゃってはいるものの(笑))

何とな〜くでもお分かり頂けます?

ほんの少しでも伝わったなら、とても嬉しいです。

だから、信じてはいないと申しつつ、それらを人として畏れ敬う気持ちだけは常に持っていたいと思ってもいます。

何となく、それが道徳心であったり、倫理観であったり、そのようなモノを生み出す根源になるような気がして。

『こんなことをしたらバチが当たる』的な感覚かなぁ。

だったらやっぱ神さまとか信じてんじゃん!って思われてしまうかも知れませんが、上で書いたように

(神さまや仏さまと一般に呼ばれている)超越的な存在=自然の摂理

ですから、

バチが当たるというのも即ち因果

みたいなモノなんですよ。別に神さまや仏さまがどこからか見ていて、「むむ。あやつめ!誰も見ておらんと思って悪いことをしでかしたな!バチを与えてやろうぞ!」ってんじゃなく、

とにかく悪いことをしたら悪い結果が待っている

という

原因と結果

だけがある、みたいな。

お金の無駄遣いを繰り返していたら、本当に必要な物が必要となった時にお金がない

という、簡単な原因と結果。それにしたって

「いざという時に普段の無駄遣いのバチが当たったんだ」

と考えればそうなっちゃうじゃないですか。

そのような摂理や因果が、つまるトコロ神さまや仏さまだったりするのではないかと。

そんなふうに俺は考えているのです。

俺は俺として自分が死んだらポン消えるだけだとは思っているけれど、

他の誰かが

「違うよ。人は死んだら天国へ行くんだよ!」

と仰ったトコロで、ムキになって反論する気は全くありませんし、

「あなたも天国に行けるよ。きっと」

と仰って下さる方があれば、その言葉はとても温かい言葉として素直に喜ばしく思います。

現象として天国に行けるとかどうか

よりも、その方の温かい御念に対する喜びです。

頑張って書いたつもりなれど、やはり矛盾している印象は拭えないでしょうか。

上でも書いた通り、何とな〜くでも

あー。何か分かった気がするわ

と伝わることがあれば嬉しいです。

とうぜん、ある特定の宗教を信仰されている方々を非難する気もございません。

信教の自由は憲法にも定められていると習いました。

俺は俺、名こそないものの、上に書いたような宗教観を持って生きているとご理解頂ければ幸い。

長々とショーモナイことを書いてしまい、本文中の内容も含めて、お気を悪くされた方があれば、申し訳ありませんでした。

ちょっと疲れちゃった。

今日もお仕事でした。

ほんの何日か前の暖かさから一転、師走本来の寒さが身に堪えます。

ずっと寒い日が続いていたなら続いていたで、体の慣れというのもあるのでしょうが、あの暖かさを経験してしまうと駄目ですね(+_+)

あの暖かさのせいで、尚一層、寒さを強く感じるような気が致します。

昨日も土曜日ということもあり、俺の場合は土曜日曜と食事はしませんから、イブらしいことは一つもなく、今日もクリスマスらしいことは何もありません。

ただ、お仕事のお客さんの中に、「メリークリスマス」と声を掛けて下さった方があったかな。

今日が12月25日の日曜日。来週の日曜日ともなれば、もう来年ですよ。

今年も速かった。

毎年、思います。

つまりは、来年も速いに決まっているのです。

そう思って毎日を大切に生きなきゃならないな

とは思いつつ、つい無駄に過ごしてしまうんですよね(^_^;;

周囲の誰に言っても

「そうそう!そうだよねぇ」

みたいな答えばかりが目立ちますから、実は皆さんも似たようなものなのかも知れません。

それでも日々を大切に、充実した毎日を送りたいなぁ。

なるべく、なるべく頑張ります。なるべく。←自信はない。

失楽園。

第一の副業で都内に参りました。

何やら今日は街の雰囲気がおかしい

と思ったら、

イブじゃないですか!

いや年末ということは承知しておりましたし、昨日の記事にも日付を入れたような気が致しますし、どれだけボケボケと日々を過ごしているのだろうかといった感じなのだけれど、クリスマス自体が全く意識の外、関心そのモノをなくしておりました(+_+)

やれ

「クリぼっち(「クリスマスに一人ぼっち」を略して左のように表現するのだとか。何か可愛い)」だ

やれ

「リア充爆発しろ」だ

思っている内は、きっと大丈夫です。(何が)

独り身もこじらせるだけこじらせると、バレンタインやクリスマスといった、(本来は宗教的な祭日なのだろうが少なくとも日本国内に於いては)どうやらカップルに向けられているらしき傾向が強い日に関しては

意識から消えます!

ストレスに対する無意識の防衛機構か、或いは絶望的な諦めか…。

そう思い、表を上げれば、こうして見る都会の景色の中にも、いつになく楽しそうにしておられる若いカップルや、幸せそうなご家族の姿が目立ちます。

とはいえ、そんなようなものを見ても、何も感じなくなってしまいました。

目の前で繰り広げられている光景が、自分とは全く縁のない、遥かに遠い、確かにそこにあるのにまるで手の届かぬ、夢の世界のようです。

そうか…。

世界のお金持ちの豪奢な暮らし振りを知るにしても、美しいパートナーを連れた人を見るにしても

羨ましいと思うこと

って大事なんだな…。

羨ましいと思うことは、まだ諦めていないってことなんだ…。

何も感じない俺は、もう諦めてしまったんだなぁ…。

それもそれで(嫉妬を感じないから)楽ではあるものの、ちょっと寂しい気が致します。

それに気付けたことが今年のクリスマスプレゼントでしょうか。

駄目だ…。

どうにかして羨ましいと思おうとしても、

もう羨ましいとは思えません。

今となっては遠い遠い幸福の国は

すぐ近くにあったのだ。

かつてはそこに自分もいたのだ。

いや、もしかすると、今もいるのかも知れない。

そこを目指しているようでいて、もう戻れないぐらい遠くへ来てしまってから、

実は元々自分のいた場所こそが幸福の地であったことに気付く。

そんな愚かを、人は犯すのかも知れません。

戻りたいな。

すぐそこの目の前にある遠い世界へ。

背骨のない男。

今夜の東京は冬の嵐。

ちょっとした台風のような天気です。

驚くべきはその気温で、この12月も末とあってストーブの炎がいとわしくなるほど。

雨風ともに強く、それらの音が騒がしく聞こえて参ります。

12月23日。金曜日です。

…。

何か深夜ラジオの放送開始時みたいな書き出しになりましたね(笑)

文章を書くのは大好きな一方で、おしゃべりの苦手な俺と致しましては、

弁舌さわやかな方がスラスラと話すが如くに書く

も大きな目標の一つですから、今日のデダシは上手に書けたと思います(^_^)

(読者の方からすれば

何が『上手に書けた』んだ…?(いつもと大して変わらないじゃないか…)

といった印象だろうけれど…。

まぁ、自己満足です(笑))

上手に書けたと気を緩めたトコロで、筆が止まってしまいました。

やっぱり駄目だなぁ(+_+)

いずれにしても、生放送をしているワケでもなし、一つの記事を全て書き終えた後で投稿するワケですから、その書いている間のスピード感は、なかなか、いや、全く伝わらないものかと存じますが、例えば、Twitterへの投稿(つぶやき)であれば反射的に指が動き、もうそれは

思ったこと=投稿(つぶやき)

の域に達していると思われ、自分としては、それが理想だったりします。

ブログでは、どうも…こう…滞りがちで。

ズラズラと長文を書くのが好きなのだけれど、本当は短文の方が向いているのかな?

ブログをTwitterのように使い、

思い立っては投稿

を繰り返すようにした方が良いのでしょうか。

読者の方にとっては迷惑なハナシですね(^_^;;

それこそTwitterやInstagramみたいなサービスがガツンと出て来る以前、ブログ最盛期(?)の頃は、そのようなブログを見ることが度々ありました。

何かあれば更新。写真を撮っては更新。

よって一日の記事の数が20個とか30個とか、そんなブログの数々を。

タレントさんのブログでもありましたから、ファンの方は追い掛けるのに大変だったでしょうね。

相変わらずテーマもヘッタクレもない

背骨のない記事

となっております。

そうなんだよなぁ。趣味で書いている小説もそうなのですが、書きたい気持ちばかりがあって、いわゆるテーマや主題となるようなモノがないんですよね。俺の文章には。

書き手の人間性が出ちゃっているのかも(+_+)

フラフラしていて軸のない人間性(^_^;;

(^_^;; ←なんてやってる場合じゃないな。四〇にもなって。

もっとちゃんとしなきゃ。

とりあえず

来年から…。←ダメなパターン。

2192日の幸辛。

12月22日。

今日のこの日付は、俺にとって忘れがたい日付となりました。

2010年12月22日。その日に俺は人生初の人工透析を受けさせて頂いたのです。

以来、この日本という国にある、様々な優しい制度のおかげで、命を繋ぐことができています。

国が国なら、時代が時代なら、この貧しい俺が年間ン百万円も掛かるといわれる人工透析をマトモに受けられるハズもなく、恐らくは既に命を失っていたことでしょう。

そのような意味に於きましては、このブログを読んで下さっている皆さま方を含め、日本に住まう全ての皆さま、ひいては、経済というのも今や世界中の様々な事象が繋がって成り立っているのでしょうから、世界の人々全てが…そんな自覚はないにせよ…俺の命の恩人であるかのような、不思議な念を抱かずにはおれません。

先日、透析を受けている際、担当だった看護師さんにある質問をしたトコロ

「nannyさんもそろそろベテランの部類に入るから…」

等と妙なことを仰ったことが心に引っ掛かっておりました。

ベテランの部類。

もちろん、血液透析のことと存じます。

血液透析というのも皆さんが想像するように、やはりと申しましょうか、…40歳の俺よりもずっと年上の…お歳を召した方が受けられているケースも多く、腎臓の他にもお体に悪い箇所を抱えておられたりもし、ふと、今の透析施設からいなくなってしまう場合が少なからあるのです。

仲の良い患者さんであったり致しますと、

「今度、心臓の手術をするのに他の大きな病院へ入院することになったから、しばらくコッチには来ないよ。また戻って来るからね」

なんて教えて下さる一方、

『最近あの患者さん見ないなぁ』

なことも度々あり、もちろん、様々な事情で血液透析を受ける施設自体を替えられる方もある上、個人情報に関する取り扱いには厳しい時代ゆえ、病院のスタッフさんに

「あの人どうしてんの?」

みたいなことを伺ったトコロで、素直に答えて頂けないことも多く、想像する外ないのだけれど、

慢性腎不全の悪化による人工透析=腎臓移植でも受けない限りは患者が死ぬまで続く

という前提を踏まえるに

まぁ

そういうこと

なのかなぁ…と…。

つまるトコロ、

ベテランの部類

とは…。お分かりですよね(^_^;;

最近は、具合が悪くなるといった程のことではないものの、何となく透析中の体調も以前とは変わって来ているような気が致します。

これは血液透析を受けている人間でなければ分からないことかと存じますが、何か体全体に不快感にも似た違和を覚えるのです。

かつて、

人工透析を受けるようになったら、その人の余命は精々5年

と語られていた時代があったとか。それが透析技術等の発展により、人工透析に頼るようになって尚、上手に人工透析と付き合いつつ、10年20年と元気(?)に暮らしている方もあると耳にします。

それにしても、自らの健康な腎臓を失い、人工的な腎臓(人工透析)に頼って生きているワケですから、健康な方と全く一緒、というワケには参りますまい。

俺は後どれぐらい生きられるのかな。

先に触れた通り、大した税金を納めているワケでもないのに、色々とご面倒をお掛けして、自らが国のお荷物となっているようにしか思えず、息苦しくなるようなこともございます。

一方では生にしがみ付き、

ナンタラ細胞で腎臓を作製することができるようになる可能性

なんて報道に触れ、希望を見出す自分もいる。

ここで健康な腎臓を手に入れたトコロで、はて今から良い仕事にあり付ける約束があるワケでなし、お嫁さんが来てくれるワケでもなし、それから先のことを考えても不安はまだまだ山のように残るのだけれども。

いずれにせよ、この6年を生かして頂きました。

良いことも悪いことも色々なことがありました。

病気のことのみならず、その6年で学んだこともたくさんあります。

ご面倒はお掛けしますが、もう少し世のことを見続けること、世のことを学ぶことをお許し願えれば幸いです。

来年公開になる映画にも気になる映画はあり、まだ読みたい本もあって、スッタモンダやっている東京オリンピックや豊洲市場がどうなるのか、解散するSMAPの皆さんの今後のご活躍、来年の今時分にピコ太郎さんがどうされているのか、これから先に何が流行るのか、とにかく何でも見て、知っておきたく。

山のように冥土の土産を抱えて行き、あの世で人気者にさせて下さい(笑)
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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

今日の暦