俺が好きな物を好きなだけ食べられなくなってしまってから、どれぐらいの月日が経ったでしょう。
人工透析に頼る以前、減量を開始した頃からで、もうそれがどのくらい以前のことであったか、忘れてしまいました。
様々な目新しい食品や飲料を目にすることもあります。
それらを店頭で目にすることはあっても、それらが俺のクチに入ることは滅多にありません。
特に最近は変わった食べ物が多くありますね。そんな気がするだけかな?
チョコレート味のインスタント焼きそばであるとか、抹茶風味のカップヌードルであるとか。
そこまで奇抜な食品でなくとも、何語だか、外国語の小難しい(洒落た)名前が付けられた、味の想像も付かないような甘い物(恐らく)を、コンビニエンスストアのデザートコーナーで見掛けることもあります。
「コンビニで変わったデザートを見たよ。外国語の名前が付いてるんだけど、真っ白い大福餅みたいなの。どんな食べ物なのかな?」
「白くて丸いの?」
「そう。そんなの」
「それなら食べたよ。あれはレアチーズケーキみたいな味だよ」
「中はスポンジ?」
「違う。中もレアチーズケーキみたいな、ムースみたいな」
「プリンみたいな物でもないんだ?」
「うん。つるんとはしてない。やっぱりムースみたいな舌触り」
「そうなんだ!」
(上の会話はあくまで例です。そんな食べ物が実在するかどうかは不明です)
元々が食い道楽で、自分で一通りの調理も致しますから、大体の材料や食感の具合を教えて頂ければ、どのような食べ物なのか、おおよその察しは付きます。
「○×屋の新しい牛丼って普通の牛丼と何が違うんだろう?」
「普通の牛丼の具の他に焼き豆腐と長ネギが一緒に煮込んであるみたいだったよ。それで普通の牛丼よりちょっとだけ甘いんだ」
「そうなんだ!(…だとするとすき焼き丼っぽい感じだな…)」
(これも例です)
と。
ただ、結論として美味しかったのか余り美味しくなかったのかは個人の主観や好みが入って参りますし、難しいトコロです。
「で、それ、美味しいの?」
「…いや…別に…普通」
何となく気を遣っているような気配。
「うん!アレは最高に美味いよ!絶対に食べてみるべきだね!食べないと損だよ!」
病から自分の好きに食べられない者に対し、そのような表現を用いることに、気が引けているのかも知れません。だから、何となく含みのある、持って回った言い方をする。
「まぁ…美味いっちゃあ美味いんだけどね。一回食べたらもう良いかな〜みたいな」
「何てこともない味だったよ」
俺の場合、週に三度の食事しかしないという無茶は自ら選んだ手段ですし、いくら人工透析患者とあっても、"絶対に"食べちゃ駄目な物はございません。食べる気になれば、激辛ラーメンだろうが巨大チョコレートパフェだろうが、食べられないことは決してないのです。
従って、そんな気を遣うこともないのになぁと思う一方で、例えば全く目の見えない方に
「夜の都会ってどんな景色?」
と訊かれた場合、やはり
「とても綺麗だよ。高い建物がたくさんあって、それらがどれもキラキラ光ってる」
とは素直に答えないのではないか?と考えたりする自分もおりまして。
「キラキラ光ってる…けど別に…何かゴチャゴチャしているし、チカチカしていて、ちょっと品がないよ」
どこかにある
『こんなもの見えたってどうってこともないよ』
的なニュアンス。
そう考えると、俺の方から「それって美味しかった?」とか、「あれってどんな味なの?」と尋ねるのは、人に気を遣わせてしまうような行為なのでしょうか。
単に興味で訊いているだけなので、最高に美味しかったなら最高に美味しかったと、素直に答えて下されば良いのにな。
それでもやっぱり食べられない人間に対して…となると、ちょっと酷な気がしてしまうのでしょうね。
優しさとは、難しいことでございます。
人工透析に頼る以前、減量を開始した頃からで、もうそれがどのくらい以前のことであったか、忘れてしまいました。
様々な目新しい食品や飲料を目にすることもあります。
それらを店頭で目にすることはあっても、それらが俺のクチに入ることは滅多にありません。
特に最近は変わった食べ物が多くありますね。そんな気がするだけかな?
チョコレート味のインスタント焼きそばであるとか、抹茶風味のカップヌードルであるとか。
そこまで奇抜な食品でなくとも、何語だか、外国語の小難しい(洒落た)名前が付けられた、味の想像も付かないような甘い物(恐らく)を、コンビニエンスストアのデザートコーナーで見掛けることもあります。
「コンビニで変わったデザートを見たよ。外国語の名前が付いてるんだけど、真っ白い大福餅みたいなの。どんな食べ物なのかな?」
「白くて丸いの?」
「そう。そんなの」
「それなら食べたよ。あれはレアチーズケーキみたいな味だよ」
「中はスポンジ?」
「違う。中もレアチーズケーキみたいな、ムースみたいな」
「プリンみたいな物でもないんだ?」
「うん。つるんとはしてない。やっぱりムースみたいな舌触り」
「そうなんだ!」
(上の会話はあくまで例です。そんな食べ物が実在するかどうかは不明です)
元々が食い道楽で、自分で一通りの調理も致しますから、大体の材料や食感の具合を教えて頂ければ、どのような食べ物なのか、おおよその察しは付きます。
「○×屋の新しい牛丼って普通の牛丼と何が違うんだろう?」
「普通の牛丼の具の他に焼き豆腐と長ネギが一緒に煮込んであるみたいだったよ。それで普通の牛丼よりちょっとだけ甘いんだ」
「そうなんだ!(…だとするとすき焼き丼っぽい感じだな…)」
(これも例です)
と。
ただ、結論として美味しかったのか余り美味しくなかったのかは個人の主観や好みが入って参りますし、難しいトコロです。
「で、それ、美味しいの?」
「…いや…別に…普通」
何となく気を遣っているような気配。
「うん!アレは最高に美味いよ!絶対に食べてみるべきだね!食べないと損だよ!」
病から自分の好きに食べられない者に対し、そのような表現を用いることに、気が引けているのかも知れません。だから、何となく含みのある、持って回った言い方をする。
「まぁ…美味いっちゃあ美味いんだけどね。一回食べたらもう良いかな〜みたいな」
「何てこともない味だったよ」
俺の場合、週に三度の食事しかしないという無茶は自ら選んだ手段ですし、いくら人工透析患者とあっても、"絶対に"食べちゃ駄目な物はございません。食べる気になれば、激辛ラーメンだろうが巨大チョコレートパフェだろうが、食べられないことは決してないのです。
従って、そんな気を遣うこともないのになぁと思う一方で、例えば全く目の見えない方に
「夜の都会ってどんな景色?」
と訊かれた場合、やはり
「とても綺麗だよ。高い建物がたくさんあって、それらがどれもキラキラ光ってる」
とは素直に答えないのではないか?と考えたりする自分もおりまして。
「キラキラ光ってる…けど別に…何かゴチャゴチャしているし、チカチカしていて、ちょっと品がないよ」
どこかにある
『こんなもの見えたってどうってこともないよ』
的なニュアンス。
そう考えると、俺の方から「それって美味しかった?」とか、「あれってどんな味なの?」と尋ねるのは、人に気を遣わせてしまうような行為なのでしょうか。
単に興味で訊いているだけなので、最高に美味しかったなら最高に美味しかったと、素直に答えて下されば良いのにな。
それでもやっぱり食べられない人間に対して…となると、ちょっと酷な気がしてしまうのでしょうね。
優しさとは、難しいことでございます。