かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2017年09月

夢幻の如く也。

本日は第一の副業で表へ出ております。

ここで詳しくは書けないものの、第一の副業はお客さん相手の商売です。

図々しくも生意気に予約制を採っており、お客さんからご予約を頂いて、ご予約の日時にお仕事をさせて頂くという、そんなお仕事でございまして、大変ありがたいことに、ご常連さんともなれば、何ヶ月かに一度、お目に掛かる機会を賜る、そんな具合。

ただ、飲食店のようなものとは違いますから、毎週のように…というワケには参りません。一度お仕事をさせて頂くと、どうしても次のご予約までは間が空いてしまう。

そんな中にあって、午前中のお客さんが

「良いお年を」

のお言葉を掛けて下さいました。

反射的に反応しながら、

『そんな時季か…』

と、軽い驚きを覚えたものです。

もう、そのような『軽い驚き』を覚えて、何度目の秋でしょうか。

ふと腕時計……アナログながらカレンダー表示がある……を見ると、

30

の表示。今月は小の月で30日までしかございませんので、今日で9月もおしまい。明日からは10月です。

速いなぁ

…って、似たような内容の記事を毎年のように書いているような気も致します(笑)

約40歳の俺からすれば、1年は人生のたった1/40に過ぎません。

その1年が、4歳の子から見ると、人生の1/4にもなる。

したがって、俺の心の中(?)では、4歳の子の10倍の速さで時が流れているのだそうです。(ジャネーの法則)

マジか!?(笑)

10月11月12月、だいぶ多く見積もって、来年まで100日として、1年365日だから…。

『まだまだあるじゃん』

とは思えど、確か今年も年が明けた途端、アッと言う間に3月4月になってしまったような…。

来年は42歳だったかな?(3月が誕生日です)

まだ「アラフォー」と自称しても特に非難はされない年齢でしょう。

ただ、43、44、辺りになると、ちょっと「アラフォー」も怪しくなって参ります。

しばらくグレーで中途半端な時代を過ごし、やがて「アラフィフ」へ…。

その頃には、「アラ〜」なんて呼称も、古臭いものとなっているのかも知れませんね。

それ以前に、そこまで生きていられるのだろうか(^_^;;

とはいえ、「アラサー」で始めたブログが今まで続く。

ブログ開設20年の頃には、間違いなく「アラフィフ」。

うわぁ。

何か、スゴい(笑)

無事に続けられたら嬉しいよ。

寝て眠らないで。

また書くことが見付からないウチに日付が変わっちゃった(^_^;;

ちょっと仕事が立て込んでおります。

俺の場合は、血液透析中にパソコンでも扱わせて頂ければ幾らか仕事にもなるのですが、なかなか難しいものがございまして。

やはり

血液透析はベッドに寝転んだ姿勢で受ける

というのが基本になっているらしく、シャントがある方の腕に血液透析用チューブ2本(腎臓が上手く機能せずに汚れてしまった血液が出て行く方と、人工腎臓を通って浄化された綺麗な血液が体内へ戻って来る方)が繋がれていることと、その反対側の腕に血圧を測る為のカフ(血圧計のバンド)が巻かれていることは当然として、そこまで腕を自由に使える状態ではないものの、せめて

ベッドの上にでも腰掛けた姿勢

を取らせて頂ければ、自分でノートパソコンを用意する等して、何らかの作業をしたり、或いは読書をしたりするのにも便利なのだけれど、施設サイドとしては、なるべく患者には寝転がっていて欲しいみたいです。

いちおう理由として、血液透析中には血圧が急低下することがあったりもし、大人しく座っているにしても、ついフラフラっとベッドから転落してしまうとか、そのようなリスクを減らす為だと仰っていました。

もっとも、透析施設によっては、リクライニングシート型の椅子型ベッド(変な表現だ)を用意したりして、座った姿勢で血液透析を受けられる所もあると聞きます。

いずれにせよ、今の俺が通っている施設では、

『大人しく寝転がっていて欲しい』

というのが本音のようです。

一方で、

『だったら大人しく眠らせていてくれ』

とも患者としては思ったりするのですが、また意地の悪いタイミングで状態のチェックや回診……起こされる……が参ります(^_^;;

どうも、俺がお世話になっている施設では、一にも二にも

血液透析中の血圧低下

を懸念視……確かに重要ではある……しているらしく、とにかく

頭を上げる、

熟睡してしまう、

といった、

血圧の低下を招く行為

を患者にはして欲しくないようなのです。

回診にしたって、看護師さんによる回診と、医師による回診(問われる内容は一緒)の2回があり、それが1時間おきにですよ。

まとめちゃえば1回で済みそうなものなのに。

その度に起こされてしまうのでした(+_+)

何にせよ、命を繋いで下さっていることなので、こちらから文句は申せません。

もちろん、意地悪でやっていることでもないのでしょうし。何か万一のトラブルがあってはならないと、一生懸命にして下さっているのです。

ともあれ、血液透析中の姿勢も含めて、施設によって様々なローカルルール……透析室内に於けるスマホ(携帯電話)使用の是非等……があるのかも知れませんし、末永く血液透析を続けられるに当たっては、その辺りも前もって調べられると宜しいかと存じます。

特に、通える範囲に複数の透析施設があり、選択できる自由があるのであれば尚更です。

今日は昨日の記事に鑑み、久し振りに人工透析ブログらしいことを書いてみました(笑)

それでも透析の本筋とは外れちゃうという…(^_^;;ダメダナ…

ちゃんと勉強しないとですね(+_+)

(72分)

スタンス。

さて。今日もブログを書くか。

取り立てて書くこともないけど(^_^;;

たまには血液透析のことに就いても書かないとなぁとは思いつつ、改めて書くようなこともないのでございました。

仮にも各ブログランキングサイトに

人工透析ブログとして登録してある

側面もあるものですから(^_^;;

何せ当ブログは自分が腎臓を悪くしてしまったからといって始めたブログでもなく、数ある

人工透析ブログ

の中でも"異端"といえるでしょう。それが一種の"狙い"でもあるのだけれど。

例えば、わざわざ人工透析ブログを探して訪れようとする方の多くは、むしろ既に人工透析を受けておられる方ではなく、

これから人工透析を受けようとする方、

医師から「いずれ人工透析になるかも知れませんよ」と告げられた方、

であるような気がするのです。

そのような方が、

『人工透析とはどのようなものなのだろう?』

とブログなりウェブサイトなりをお探しになる。或いは、ブログランキングサイト等で、人工透析ブログとしてカテゴライズされているブログを、上から順番に訪ねてみるケースだってあるでしょう。

中には、自らが人工透析生活に慣れてしまえば、おのずと身に付くであろう知識もございます。

DW(ドライウェイト)がキツい

とか

中二日で5kg増え。ヤバい。週末までに取り戻せるか?

等という、人工透析とは縁のない方にとってはナンノコッチャな文言の数々も、アタリマエのように人工透析ブログには出て来るものかと存じますが、それらにしたって、これから自らを待ち受けているかも知れない未知の人工透析生活へ不安を覚えている方からすれば

『何だか難しそうだな…』

と、更に不安を増大させる結果となってしまうような気がしないでもないのです。

そんな中にあって、普通の日記を書いている阿呆がいる。

どうやら血液透析を受けているようではあるのに、特に人工透析に関して触れるワケでもなく、それドコロか、

文章が上手く書けない


なんて、まるで見当違いな悩みを抱えて落ち込んでいるらしい。

人工透析に頼らねば生きて行けず、正に死ぬか生きるかの状況に至り、なお自らの文章の良し悪しを気にするような馬鹿もいるのか。

このブログは、それで良いと思っています(笑)

もちろん、人工透析は人工透析で受けなくてはならず、それは大袈裟な表現でも何でもなく、人工透析患者にとっては

生きるという活動そのもの

に相違ありません。

心臓を動かす、呼吸をする、食べ物を消化する…それらと同一線上に、我々には人工透析が据えられている。

ただ、人間、とりあえず生きてりゃ良いってものでもございませんから。その上で、仕事があったり、家族との営みがあったり、趣味があったり、遊びがあったり。

俺はアタマも悪くて、人工透析に関しても未だ余り良く分かっていない点が多く、実際、他の人工透析ブログを拝読するに当たり、

ちょっと難しい

と感じることがあるぐらいなので、そこへ乗るのをやめました。

敢えて普通のことを書き続けようと。専門的なことは他の透析ブログさんたちにお任せしてしまおうと。

ブログを書き続けることで

とにかくブログを続けられるぐらいにはどうにかなっている

ことの証明にはなると思ったのです。

肉体的なこと、精神的なこと、経済的なこと、全てに於いてギリギリの状況なら、ブログを書いている余裕もないでしょうし。

どうやら貧乏、どうやら孤独、どうやら心身も色々と弱っている、でも毎日のブログは続けている。

『こんなのもいるぐらいなら、まぁ大丈夫そうか』

未来へ不安を抱えている方に、そう思って頂けたなら嬉しいな。

そのぐらいの気持ちで続けているブログです。

つっても、それが書くことがないことの言い訳にはなりませんね(^_^;;

色々と余裕が足りないのは紛れもない事実なので(笑)

…。

余裕があっても何もしないかも。

ただの無精者だと思います(^_^;;

(47分)

独擅場。

昨日の記事を書いた後から……正確には記事を書く少し前から……、時間を見付けては様々に文章を書き散らしておりました(^_^;;

お仕事は別として、趣味で小説を書いたりもしている……あわよくば懸賞へ出したりするつもりがある都合上、公開はしておりません……上、極めて個人的なことを書いている直筆(?パソコンを使わず紙の帳面にペンで書いている)の日記もある為、特に勘定したことはないものの、恐らく平均で400字詰め原稿用紙にして一日に30〜50枚分ぐらいでしょうか、文字を書いていると思います。もちろん、ブログに書いている分も含めて。

もっとも、ブログに関しましては、

風通しが良いというか、多少は読みやすくなるのではないか?

という手前勝手な配慮にかこつけた、

いかにもボリュームがあるかのように見せ掛ける目的(要するにインチキ)

で、妙な所へ改行を入れ込んだりしておりますから、文字の数としては大したこともないかと存じます。

それが、昨日から今日に掛けては体感的に倍のペースで書いており、正直に申し上げて、もう嫌になってしまいました(笑)

いや、作文が嫌いになったというワケではなく、今日に限っては飽きてしまったという意味です。

食べ放題ならぬ書き放題しましたから。

まぁ書いた書いた。文章にしても、乱暴なものから丁寧なものまで色々と書いてしまったもので、ちょっとブログ用の"文調(文章の調子)"を忘れています(^_^;;ダイジョブカナ…

散々「ブログに書くことがない」といっておきながら、何をそんなに書くことがあるのか?と問うならば、本当に滅茶苦茶で、

あさみず‐し・い【朝水しい】
朝に顔を洗う冷えた水のようなさま。爽やかでさっぱりしている様子。「―・い好青年」

かんかん【乾寒】
空気が乾いて冷えていること。「―として寒い」「―たる夜が明けた」

うまず
最初は美味しく感じたのに食べ終わる頃には嫌になっていること。「あのこってりとしたラーメンは―であった」

等という使い途もなさそうなオリジナルの単語を作り出しては書き留めたり、

サンドイッチを作ろうと思ったらパンが一枚しかない。一枚のパンを半分に切って小さなサンドイッチを作るか、一枚のパンの上にサンドイッチの具材を乗せて、そのまま食べるか。しかし、後者の場合はサンドイッチとは呼べない。

お月見の日になってから割りと目立つ吹き出物があることに気付いてしまったお月さまの気持ち。でも地上の人間は特に気にもしないのだろうな。

のような、今になって読むと何を伝えたかったのか自分でも良く分からない文章もたくさんありました。

けっきょく、マトモといえる文章は、その趣味で書いている小説と、ブログぐらいのものだと思います。

やはり、俺の場合は、単純に「文章を書くのが好きだ」というだけのハナシで、そもそも文章の上手い下手をどうこういえるタイプではないのでしょう。

「下手の横好き」という言葉もあれば、「好きこそものの上手なれ」という言葉もございます。

「好きこそものの上手なれ」は、「好きなことには誰だって夢中で取り組むし、それだけ自然と上達も早くなる」みたいな意味であり、必ずしも「好き=上手である」とはいっていないのですが、それでも、せっかく好きでやっていること、上手になりたいと願うことが人情なのではないでしょうか。

ましてや、文章の上手い下手というのも、自己満足というかセンスの問題というか、特にコレといった正解がありません。

難しい漢字や単語をふんだんに用い、それはそれは風雅な文章を書き上げたにしても、読み手を選ぶようでは、余り良い文章ではないような気も致しますし。

難しいですね。それが作文の面白い部分でもあるのだけれど。

いつか自分で満足の行く文章が書けるよう、また皆さんが読んでいて気持ち良くなれるような文章が書けるよう、楽しみながら、気長に励んで参りたい所存です。

(55分)

行かないで。

それをナリワイとするかどうかはともかくとして、人にはそれぞれ

好きなこと

があると思います。

人を好きになることと同様、何かを好きになったり嫌いになったりするキッカケは実に些細なものであるような気もし、俺が何よりも

文章を書くこと

を好きになったのは、まだ平仮名を覚えたばかりの頃、見知らぬお爺さんとの出会いが始まりです。

その日は絵を描こうと思って出掛けたのでした。ところが絵が下手な俺は早々に絵にも飽きてしまい、ただ公園のベンチに腰掛け、ボーッとトンボを見ていたのです。

トンボは青い空を飛んでいるから水色のメガネを掛けている

そんな歌を思い出します。しかし、その時の俺の目に焼き付いたのは、半ば透けたトンボの羽でした。トンボの目は水色なんかではなかったけれど、透けて空の色を通したトンボの羽こそが文字通り空の色だったのです。

それを絵に描こうと試みたものの、案の定、上手く描けません。描けたとしても、

トンボの羽が透けて向こうの空の色と同じ色である

という最も描きたい点が、上手く表現できないのでした。

ヤキモキした俺は、画用紙に今度は文字で書くことにしたのです。

あおいそらをとんでみづいろなのはとんぼのめがねじゃなくてはねのほう

確か、そのようだったと記憶しています。「みずいろ」の「ず」が「づ」になってしまうのはクセみたいなもので、そのクセが直るのはずっと後のことです。

すると、俺がスケッチブックにクレヨンのケースを持っていたものですから、たまたま近くを通り掛かり、てっきり絵を描いているものだと勘違いされたのでしょう、いつの間にかベンチの後ろから俺のスケッチブックを覗いていたお爺さんが

「詩を書いているの?」

みたいなことを仰いました。恐らくそうであったと思います。ただ、その時の俺は「詩」という言葉さえも知らないのでした。

極端な人見知りであったこともあり、意味の分からない質問に、グズグズ答えられずにいると、

「なるほどなぁ。トンボの羽は透明だもんなぁ。トンボの羽は空と同じ色になるのだね」

腕を組み、いかにもふむふむと納得した様子です。

「すごいことを思い付いたね」

その言葉だけは今でも良く覚えています。

生まれて来たことすら周囲に否定されて来たような俺が、ろくに褒められたこともないような人間が、初めて他人様から「すごい」と仰って頂けたのです。

その瞬間、俺は作文が好きになりました。それに伴って国語も好きになり、幼稚園で同じ組の誰よりも早くカタカナを覚え、書道の得意だった祖父から漢字を習い、小学校に上がってからも、多くの児童が

「学校では何の時間が好き?」「給食〜!」

なんてトコロを、

「国語!」

と断言するまでになったのです。

少し自慢させて頂きますと、テストや受験だからといって、改めて国語を勉強したようなことは一度もありませんでした。改めて勉強するまでもなく、国語に関しては「できてしまった」のです。

算数や理科が軒並み20点とか30点だった頃、国語だけは90点を下回ったことはなかった……改めて勉強することがなかった分、漢字の書き問題だけは落としていた……ように記憶しています。

高校受験の際も、「もし受験科目に国語がなければ行ける学校は一つもなかった」と告げられたぐらいです(^_^;;

(けっきょく、ほぼ国語のチカラだけに頼ってアタマの悪い人が行く学校に入ることができました)

今でも国語は大好きで、このブログを書いている時間が何よりも楽しく感じられます。

ただ、俺が学生だった頃、インターネットも何も余り普及していなかった頃と比べると、メールにしろSNSにしろ、他の皆さんも多く文章を書かれるようになりました。

それに伴い、プロの先生ではない、一般の方々が書いた文章に触れる機会も自然と多くなって参ります。

人工透析関係を始め、何箇所か定期的に拝読しているブログ等もあるのですが、皆さんの文章がとても巧みで、ここ最近、自分の文章に自信が持てなくなって来ました。

「自信が持てなくなって来た」

というか、もう既に

「自信がない」

かな…。

ブログで度々「書くことがない」と言い訳めいたことを繰り返しているのも、「書くこと」があったとしても、それを自ら避けて通っているような気がするのです。

ちゃんと「書きたいこと」があって、明確な「伝えたいこと」もあるのに、それを上手く文章に乗せられなかったら……上手く伝えられなかったら……嫌だから。

元々のアタマが悪いせいでしょうか。「わざわざ勉強するまでもない」と国語の勉強を怠ったせいでしょうか。

思った通りのことが書けません。自分で満足できません。

好きなのに、ちっとも上手くなれないのって、少し惨めです。

頑張りたいけれど、頑張るのにも疲れてしまい、いつか国語が嫌いになったらどうしよう…なんて、今する必要のない心配までしてしまったりして。

歳のせいか、感性(?)みたいなものも鈍って来たような気が致しますし。

今回の文章も思っていた感じとはだいぶ違うふうに仕上がってしまいました。

やはりスベっているように感じます。

もっとピタッと心へ寄り添った、あの三十数年前にトンボを見て書いた文章のような、あんな思った通りの文章が書けるようになりたいです。

頑張ります。

(148分)
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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

今日の暦