かねがねがちぶ。

人生踏んだり蹴ったり。

2019年09月

心配無用。

ちょっと前の出来事になるのだけれど。

友人とLINEしていて、このブログの話題になったんです。

余りに俺が(ブログの記事の中で)書きたくない書きたくない書いているので、気の毒に思われたのかもしれません(^_^;;

そんな会話の中で、ふと

「書きたくない」って書いている時も俺は楽しんでいるから気にしないで

的なことを伝えました。

一人では余り考えたこともないことで、その時は会話の流れに任せて素直に書いたのですが、

本当にその通りだな

と。

或いは、やはり俺が頻繁に書きたくない書きたくないばかり書くので、無理してブログを続けているのではないか?みたく思われてしまっている部分もあるのではないでしょうか。

確かに、毎日の更新というのは、仕事の都合だったり俺個人の用事があったりで、ちょっと大変と思うようなトコロはございます。

しかし、自分の心の中をほじくり返して、「書きたくない!」という気持ちを認め、それを文章化している時間も楽しいし、そんな作業が好きなのです。

これは俺の想像に過ぎないけれども、例えば機械いじりが好きな方は、なかなか思ったように機械が動いてくれず、散々悩みながらアッチを直してコッチを直してやっている時間だって楽しいヒトトキなのかもしれません。

動物が好きな方は、全く懐かず、言うことを一つも聞いてくれない動物にさえ、深い愛情を抱けるのかもしれません。

スポーツでもゲームでも、なかなか勝てないにしたって楽しまれている方は大勢いらっしゃるでしょう。

上の例と同様、俺はとにかく文章を書くという作業自体が好きなので、「書きたくない!」も楽しく書いています。

他に書くべきことがあれば更に良いのですが、何もないなら何もないなりに「何もないよ」と書いている時間も楽しいのでした。

そりゃあ筆を取る前は焦りますよ。どうしよう。今日は何を書きゃ良いんだ。

ただ、書き始めてさえしまえば、楽しくて仕方がない。

だから、「書きたくない」ばかりのブログでも、楽しんでいってくださればと存じます。

楽しかないか(笑)

そんな下手の横好きが書いているブログなのです。

くれぐれも、ご心配なく(^-^)

一時停止。

今日も第一の副業で表に出ております。

昨日の記事は日常のとことん何でもないことを膨らませ膨らませ頑張って書きました(笑)

あのぐらいの些細な出来事なら、本来であればTwitterの方で

「普通にテレビ見てて水川あさみさん知らないとかってある?」

ぐらいで終わらせていたハズです。

内容にしても、その程度の文字数で書ききれてしまうエピソードでしょう。

そこで思いました。

『何も考えずTwitterの方でナンデモカンデモつぶやいちゃうからブログの方へ書くことがなくなっちゃうんだ』

と…(笑)

うまいもので、Twitterには一つのポスト(投稿)に対して文字数の制限があるのだけれど、俺ぐらいの日本語の達人ともなると(くれぐれも冗談ですよ。冗談)、アラカタの出来事なら言葉を駆使してTwitterの文字数制限内に収められてしまうんです。

従って、そっち(Twitter)で日常のスケッチや雑感を消化してしまい、結局、ブログの方で書くことがなくなるという。

これから先は何かあったからといって脊髄反射的につぶやくのではなく、ちょっと立ち止まって

『これはブログで詳しく書こう』

ぐらいに考えてみようかと思います。

それでブログを書くのが楽になったら良いなぁ。

最近、そこまで苦労してブログを続ける理由が分からなくなってまいりました(笑)

今みたくサクサク書いている間は楽しいのですが。

やっぱりブログとTwitterと心構えや取り組み方を違えてしまったことが誤りだったのかもしれません。

もっと気楽に書けたら楽しそう。

分かっていても何故かできないトコロが難しいトコロです(^_^;)

知名度。

今日は第一の副業で表に出ているよ。

朝一番で、この仕事のお客さんを紹介してくれたり、面倒な事務処理等の一切を担ってくれているパートナー(女性)と会って少しだけお話したのだけれど、その中で

「窪田正孝が何とかって聞いたこともない女優と結婚してさー」

なんてぶつくさ言っていました。

はてと記憶をたどると、確か窪田正孝さんとご結婚なさったのは、「聞いたこともない」と表現するには余りに著名な女優の水川あさみさんだったハズです。

「水川あさみさんじゃなかったっけ?」

「あーうん。神社みたいな名前の女」

(基本的にパートナーはクチが悪い。申し訳ない…)

神社。もしかすると水川あさみさんの『水川』から『氷川神社』辺りを連想したのかもしれない。

「有名な女優さんだよ。コマーシャルとかも出てるし。見れば分かるよ」

「見たけど分かんなかった。あんな人知らない」

ちょっと信じられません。むしろ今の俺よりパートナーの方が最近のドラマやら何やらテレビはたくさん見ていると思います。

果たして窪田正孝さんのファンだったのか、それとも単に結婚すること自体が羨ましかったのかは分からないけれど、何だか不服そうでした。

ちなみに、俺は俺で窪田正孝さんの方が良く分かりません。お名前は存じているものの、やはりご尊顔が明白でなく…。(人のお顔を覚えることが大変に苦手です)

これもまた恐らく『名前の漢字が少し似ている』だけの理由で、窪塚俊介さんとゴチャゴチャで(^_^;;

特に最近の20代後半から30代ぐらいの、ハンサムな俳優さん方は(失礼ながら)たいてい見分けがついておりません。

もともと顔の見分けが苦手なことに加え、お歳を召した方の仰る

「最近の若者は見分けがつかない」

も多分にあるのでしょう。

とはいえ、普通にテレビを見て、芸能方面にも明るいと思われていたパートナーが水川あさみさんの存在を知らなかったことが驚きです。

普通にテレビや女性向けの雑誌と触れていれば、水川あさみさんを知らないままでいる方が逆に難しいレベルの女優さんだと思っておりましたので。

後から

「やっぱり知ってた」

と言ってきそうな気がしないでもありませんが(笑)

モラトリアムおじさん。

心の中に澱が溜まっているかのようで汚い。

こうして書くのも嫌になる。

いちおう、そんなつもりはない気ではあるものの、敢えて書くことで読者の皆さんに甘えているように思えて。

何だろう、上手く説明はできないけれど、「つらい」とか「しんどい」とか、そんなようなことを大袈裟かつ控えめに表明して、周囲の気を引こう、心配させちゃおう、みたいな、幼稚で未熟な目論見が、自身にあるような気もしてきた。

まだそれを自覚してやっていれば良い。今の俺の場合は自覚がないだけに厄介だ。

書くことがなく、無理に書くことを引っ張り出すワケだが、それがことごとく陰気でネガティブなのである。

そして、それを書いている内、どんどん惨めになっていく。

言霊(コトダマ)などという大仰なものでもなく、無理に引きずり出した陰気に文字を当てはめることで、更なる深みにハマっている部分はあるかもしれない。

心の中の"ぐちゃぐちゃっとした何か"に

「つらい」

という言葉を当てはめては、

『そうか。今の俺は「つらい」んだな』

そう結論づけ、場合によっては自分を誘導さえしてしまう。

もうしばらくそんな内容の記事を続けている。

今回で終わりにしよう。仮につらかったとしても、明日からはその話題から離れる。

そもそも

ブログには余りネガティブなことを書かない

ルールなのだ。

まったく未熟なおじさんで申し訳ない。

子供じゃないんだから。

自分で情けなくなるよ(+_+)

勉強します。

あるお笑いコンビ(正直、この芸人さんを今般の騒動まで俺は全く知らずにおりました)がライブのネタの中で、

某スポーツ選手に必要なものは漂白剤

と発言し物議を醸している。

要は人種差別だというのだ。この某スポーツ選手に関して俺はほとんど何も知らず、外国の方と日本人とのハーフであると聞いた覚えはある。肌は褐色で、日本語をお話されている場面を余り見たこともない。

人種差別といえば、かつてはバラエティ番組で黒塗りの扮装が問題となったことがあった。

それを言い訳にするのも良くないことだとは思うが、いかんせん俺は昭和生まれのアタマが古いおじさんで、携わってきた仕事の規模も小さければ、自分が生きてきた世界も国内のみと非常に狭く、実際、欧米の方と会話させて頂く機会もないまま今に至っているから、正直、

人種差別

と聞いてもピンとこない部分が大きい。

上の事案について、掲示板やニュースサイトのコメント欄を見ていると、

「これが松崎しげるなら許された」

とか

「松崎しげるをネタにするぐらいでちょうど良いのに」

みたいな投稿が、それこそネタ半分に見られた。

敢えて記すまでもなく、松崎しげるさんとは日本の歌手で、何故か(意図的な日焼けにより)肌の色を黒くしている。その過剰な黒さから、ネット上で話題になる(ネタにされる)ことも度々だ。

ただ、ここで疑問が湧いた。黒人系のスポーツ選手では許されず、松崎しげるさんなら許されるのか?

確かに、元々褐色の肌を持つ方と、自分から意図的に黒くしている松崎さんとでは大きく違う。とはいえ、例えばここにきて松崎さんが、

「ずっと内緒にしてきたけど、実は僕にもアフリカ系の血が入っているんですよ」

仮に、仮にカミングアウトしたらどうなるのだろう?その途端、松崎しげるさんのネタもタブー化するのだろうか?(松崎さんご本人がご自分の黒さをある種の"売り"にしている部分はあれ)

人種は元より、人それぞれの肌の色にも違いがあって、日本人でも透けるような白い肌の方もいらっしゃれば、色黒な方もいらっしゃる。それを日本人は割りと平気でクチに出す。

「ずいぶん焼けてるねぇ」

とか、

「色が白くして羨ましいわ」

とか。

相手の気持ちも大して慮らずに。

肌の色以外にしても、他人の背の高さや四肢の長さ、顔の美醜に至るまで、少なくとも俺の周囲にいる人間たちは強く意識して生きているように感じられて仕方がない。

つまり、人種差別的ではなく、むしろ容貌差別的に映るのだ。

「肌の色が黒いスポーツ選手に必要なのは漂白剤だ」

ネタにするお笑い芸人と、

「白く美しい肌が手に入る」

謳う化粧品会社と、何が違うのか、正直、俺には良く分からない。

もちろん、感覚的に

「黒人に漂白剤」

がいけないことは分かる。ただ、

「何がいけないの?」

と訊かれると上手く説明ができない。

「元々色が黒い方なのだし、それが個性なんだから。『漂白剤で白くしよう』なんて言っちゃいけないんだよ」

それで良いのだろうか?

じゃあ、いかにも美白こそ至高とするような化粧品のコマーシャルはどうなのか。薄毛を貶めるかのような育毛剤の広告はどうなのか。

生まれもってのものは即ち個性であり、その否定は看過できない

とするならば、背が低いことだって足の短いことだって、チビだの短足だのという非難や嘲笑は許されないハズだ。

それでも、そこは(テレビのバラエティ番組等で)アタリマエのようにまかり通っている。

極東の島国であるせいか、人種差別というものに対してイマイチ疎い部分はあるのかもしれない。特に国際親善などというものとは無縁な暮らしをしてきた俺のような人間にとっては。

だから、個々の悪いケースが発生した場合にのみ騒がれても、その度に上のような疑問を抱いてしまうのだ。

もっと根本的に、何がどうダメで、誰がどう傷つくのか、歴史的なものも含めて、包括的に学ぶ必要があると思う。

情けないことに、とことん無知なのだ。

この記事を書くに当たり、「黒人」という言葉を使って良いのかさえ悩ましかった。そこは「アフリカ系」とすべきなのか、とか。

それぐらいに無知なのだ。

なるべく当たり障りのない記事を書くことをモットーとしており、こんな記事を書いたら叱られてしまうんじゃないだろうかと怖々書いている。

無知だから許してと責任逃れをする気はないけれど、今回は正直に思うトコロを書かせて頂いた。

これから読み返してしまうと、やっぱり色々と怖くなってきて、記事のアップ自体を断念してしまう恐れがあるので、この勢いのまま投稿する。

内容の是非はもちろん、誤字や読みにくい箇所があったらお詫びいたします。ごめんなさい。
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プロフィール

nanny

恥ずかしがりで寂しがり。

Iga腎症、アトピー性皮膚炎等、様々な病気と付き合っており、現在は血液透析(週に3回 1回4時間)を受けている元腹膜透析(CAPD)患者です。

糖尿病がありましたが、40kg以上の減量に成功し、現在は寛解しています。

2009年7月3日に原因不明の卒倒をして以来、離人感を抱くようになりました。

ブログでは日々思った色々なことに就いて書いています。

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