日付変わり、昨日たくさん歩いたせいか、ちょっと疲れちゃった。

眠ろうと思えば眠れそうだけれど、お仕事(第二の副業)があるし、今日(日付変わって月曜日)の血液透析中に寝られるだろうし、それまでもう一踏ん張り。

血液透析は午後からだから、「一踏ん張り」と表現するには少し長いかな(^_^;;

そろそろお腹も空いて来ました(極めて個人的な判断で、血液透析が受けられる月水金曜日の午前中にしか食事をしない生活を続けております)し、喉も渇いたよ。

人工透析に頼らなくてはならないまでに腎臓を傷めてしまうと、上手いこと尿が出なくなるケースが多く、クチにした水分が尿となって自然に出て行かない為(その余計に溜まった水分を取り除くのも人工透析の大切な役割の一つ)、飲む水分も制限しなくてはならないのです。

まぁ一種の内臓疾患ですから、食べる物に関しては様々な制限があるにしろ、せめてお水ぐらいは好きに飲めたらどんなに楽だろう

と常々思います。

とはいえ、森鴎外さんの『高瀬舟』(だったかな?間違っていたら申し訳ありません)でもないけれど、俺みたいな図々しい人間は、水が飲めるようになったらなったで『せめて甘いジュースが好きなだけ飲めたら良いのになぁ』と思い、それが叶ったら叶ったで『せめてお酒が飲めたらなぁ』、更には『好きな物が食べられたらなぁ』…なんて、無限の欲望に取り憑かれ、足るを知らず、永遠に満たされることもなく、また体をどこかおかしくして、苦しんでは後悔するのがオチでしょうから、この今のいささかな不自由も、安直に浅く考えれば天罰というか、なるべくしてなったというか、誰のせいでもなく、ヒトエに体重が100kg近くになるまで暴飲暴食を続け、自らの体(腎臓を始めとする内臓)に無理をさせて来た自らの行いの、"単なる結果"に過ぎぬのでしょう。

"業"だとか"報い"だとか、そんな難しいことではなく、単なる"結果"。

何に於いても、無理をすれば、傷み、壊れる。それだけ。

クルマの運転(だけ)が好きで、ただ乱暴に乗り回し、愛車のメンテナンスもロクにせず、バンバン飛ばしてたら、やがてクルマが壊れちゃって。それを直すにしても、別の新しいクルマを買うにしても、お金がない。大好きな運転がもうできない。

それは何かのバチなのか?と問えば、そういう考え方も不可能ではない一方、"単なる結果"ともいえるでしょう。

そのような結果が嫌なら、乗り回すにしたって大事に乗ってやり、メンテナンスもマメにして、愛車を大切に扱えば、いつかは壊れるにしろ、長持ちしたかも知れない。

俺の体にしたって同じようなもので、『歳を重ねても元気に、ずっと美味しい物を美味しく食べ続けたい』と願えば、歯から内臓から体から、もっと大事にすれば良かったんです。

それをしなかったから、"ガタ"が早く来ちゃって、美味しい物ドコロか、普通のお水さえ自由に飲めなくなってしまった。

神様だか仏様だか、よくも残酷なことをしてくれるよなぁ

と思う勝手も人間には許されているけれど

やはり俺の感覚(考え方)では

悪いのは、他ならぬ、自分。

"他の何か"のせいにできれば、気持ちも幾らか楽になるのかも知れませんが、自分が悪いんじゃショーガナイよね(^_^;;

そんなようなことに、死ぬ直前になってから気付くよりは良かったかな。

何にせよ、

無茶苦茶をやれば無茶苦茶な結果が待っていて、

どんな結果を生むか良く考えながら慎重に、計画的にコトを運べば、少なくとも無茶苦茶な結果を避けられる可能性は上がる。(それでも間違いなく良い結果を生むとは限らないトコロが難しいトコロなのだけれども)

因果応報。

人間万事、塞翁が馬。

答えは見えないし、何だか良く分からないものの、そんなことまで含め、色々人生のこととか、生き死にに付いてとか、考える機会を与えて下さった、という意味に於いては、この病気にも感謝しています。

もちろん苦しいし、面倒だし、厄介だし、しんどくはありますが。

それでも何にも気付かず、何も考えず、ただボヘーッと生きているよりは良かったんじゃないかな、と。

特に俺なんかは甚だしい馬鹿で、放っておいたらそんなこと何一つ考えやしないんだから(笑)