ここ何日か考えていることなんだけれど。

結局、俺は自分が石を投げつけても許される相手を探して生きているだけの人間かもしれないな、なんて。

大なり小なり悪いことをしたり、ちょっとした失敗をしてしまったり、そういう

たとえ責めても文句を言われないような人

を認めては、自分なりに罪やしくじりの大きさに応じた石を投げ、心の中で実は少し石投げを楽しんでいる。

正義の思いからの行動のように自分では思いこんでいるものの、何てことはない、それは単なるストレス解消で。

自分より立場が上の人間に石を投げる方が更に罪の意識が薄くなって楽しい。

他のみんなと混じって投げている時もある。

そんなふうに、今度は自分が石を投げられる対象になったら怖いから、普段からおどおどと小さく小さく生きている。

自分が弱い人間で、おとなしく静かに生きている限り、余り石が飛んでくることはない。

俺は社会の底の近くで、上の方を羨ましくながめながら、それでも自分が本当に上へ行こうとはしてもいないんじゃないのか。

きっとずっと下の方から石を投げ上げているのが楽しいんだ。

上は良いなぁと思う一方で、上がるのも怖い。

人から石を投げつけられるのが怖い。

だから俺は底の方で生きている。

上の方にいる人々を妬みながら。

石を投げ上げられる日を楽しみにしながら。

俺は惨めな人間だったな。