「ところで、無礼を承知で伺いますが、先ほどのお話しの中にあった、そのなくされたお財布に、現金はどれぐらい入っていたのですか?」

「……いっぱい……」

「いっぱい」

「二万円ぐらいだよ。はぁ」

「二万円か。若い方にとっては大金ですね」

「はぁ……」

「なくされたのは昨日のことだとか」

「うん。それは間違いないんだ。昨日のお昼から夕方の間ぐらい」

「それでは、とりあえず、とりあえず仮に、今日なくしたことにしましょう」

「はい?」

「昨日じゃなくて、お財布をなくされたのは今日。更には、その事実を今になって気づいた。そうしませんか?」

「いつなくしたって同じだよ」

「それでは今回のお支払いをお願いします」

「あ、はい」

カバンから、しばらくの間に合わせで使っているような野暮ったい財布が現れた。

「いや、『はい』じゃないでしょ。なくしてんですよ。お財布」

「……あ」

「払えませんね。困ったな。では仮に、架空の一万円を頂くことにします。なくされたお財布の中にはいくら入っていましたっけ」

「二万円」

「でも二万円の内の一万円は、今日俺に支払うハズのお金でした。だから、もともと一万円は出ていく予定になっていた。そうですね?」

「うん」

「そもそも一万円は出ていくことに決まっていたのだから、二万円を落としたとしても、実際の損害は一万円だけになります。残りの一万円は、最初から使っちゃう予定でいたんです」

「そう」

「さて、さっき俺は仮の一万円を仕事の代金として受け取りました。それは毎度ありがとうございます」

「はぁ」

「ところが、実際にはお財布をなくされているので、この仮の一万円すら俺に入ってくることはなかったハズです。致し方ありません。先ほどの仮の一万円はお返しします」

今度は自分の財布から一万円札を取り出し、彼女に差し出す。

不思議そうな顔で、彼女はその一万円札を受け取った。

「先ほど、俺は仮の代金一万円を受け取りました。しかし、お客さんのお財布がありません。財布がないからには払えない。払えないからには受け取れない。そんな受け取りようのない代金を頂いてしまったので、それは返す以外にありません」

「……」

何やら難しい顔で考えている。

「二万円が入ったお財布をなくしました。しかし、その内の一万円は、既に行く先の決まっている、使う予定があったお金です。従って、実際の損害額は一万円。ところが、架空の金銭のやりとりにより、一万円の現金が戻ってまいりました。

俺は俺で既に架空の代金を頂戴しています。先に申しあげたとおり、それは受け取りようもなければ返却のしようもない架空の金銭なので、そこは現実の紙幣でお返しいたしました。

これで実損害額の一万円は回収され損害は帳消し、同時に俺が損をしたワケでもなくなります。そもそも今回の代金は、お財布をなくされたことで支払われるハズもなかったのですから。すると不思議なことに、財布をなくされたことによって損をした人間はいなくなりました」

「……」

先まで二本だった眉間の縦じわが三本になった。

「それでは、次のお客さんからのご予約も頂いておりますので。本日は誠にありがとうございました。またのご利用をお待ちしております。お財布、見つかると良いね」

まだ若いお嬢さんに眉間のしわが深く残らないよう祈る。

自分からしても滅茶苦茶な理屈だったな。

(注:このお話はフィクションだと思います)