文章には「段落」と呼ばれるものがあるが、正統な技法(?)や、ある種のレトリックとしての「段落」はともかく、このブログでは以下のように
強調したい一文
を一つの段落として扱い、それとなく行数を稼ぐという
卑怯な手段
を使うことが度々ある。
加えてこの頃は、コロナ騒動、それに伴う不安や抑うつ、自身の離人感等が重なり、毎日ブログを書くことが負担になっていることも事実だ。
もともとコダワリや執着の強い人間のせいか、だからといってブログの更新を途絶えさせることもしたくはなく、その板挟みにいよいよ辛抱も堪らなくなり、ちょっとブログのスタイルを考えることにした。
読者の方々には申し訳ない。これよりしばらく、当ブログの一つの記事を
10段落
と定める。上で書いたような、強調したい一文だけを取り出して「段落」と扱う場合も、あくまで1段落だ。この記事に関していえば、正に今、ここが10段落目に当たる。
--------------
今回は「宣言」ということで、11段落目以降も書く。
こうして書いてみると、10段落は思った以上に短く感じられ、更に
ぴったり10段落で終わらせる
というのも却って難しい気がしてきた。
それでも「10段落さえ書けば今日のノルマ(?)は終わる」と考えられるだけでもだいぶ気が楽になりそうであるし、「最短で10段落」でなく敢えて「ぴったり10段落」とするのも作文遊びとして楽しそうだ。
いつまでどうなるものか今の段階では知る由もないけれど、そのようにご了承願いたい。
強調したい一文
を一つの段落として扱い、それとなく行数を稼ぐという
卑怯な手段
を使うことが度々ある。
加えてこの頃は、コロナ騒動、それに伴う不安や抑うつ、自身の離人感等が重なり、毎日ブログを書くことが負担になっていることも事実だ。
もともとコダワリや執着の強い人間のせいか、だからといってブログの更新を途絶えさせることもしたくはなく、その板挟みにいよいよ辛抱も堪らなくなり、ちょっとブログのスタイルを考えることにした。
読者の方々には申し訳ない。これよりしばらく、当ブログの一つの記事を
10段落
と定める。上で書いたような、強調したい一文だけを取り出して「段落」と扱う場合も、あくまで1段落だ。この記事に関していえば、正に今、ここが10段落目に当たる。
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今回は「宣言」ということで、11段落目以降も書く。
こうして書いてみると、10段落は思った以上に短く感じられ、更に
ぴったり10段落で終わらせる
というのも却って難しい気がしてきた。
それでも「10段落さえ書けば今日のノルマ(?)は終わる」と考えられるだけでもだいぶ気が楽になりそうであるし、「最短で10段落」でなく敢えて「ぴったり10段落」とするのも作文遊びとして楽しそうだ。
いつまでどうなるものか今の段階では知る由もないけれど、そのようにご了承願いたい。