小学生の頃、地元の少年サッカークラブに所属していたことがある。夏休みには恒例の合宿があった。
不思議なことに、何県の何処へ行ったのか記憶がない。宿泊した場所も寺の講堂のような場所で、少なくとも個室ではなく、非常に蒸し暑かったことを覚えている。
暑さと環境が違うことからの興奮のせいもあって、ほとんど眠れず、ただ横になって目を閉じていた。

するとがさがさとした気配があった。何だろうと暗闇の中目を凝らすと、2つ3つ動く影を見た。当時6年生の先輩だった。何となく声をかけた。
「何してるんですか?」
「お前も起きてるのか。暑いし眠れないから、ちょっと外出てくる」
「俺も行っていいですか?」
「いいよ。来いよ」
俺は3人の先輩と共に、寝ている人を踏みつけないよう注意を払いつつ、外へと出た。

宿泊している施設の裏手は小さな川になっていて、そこに架かった橋を渡るとすぐに合宿で使用しているグラウンドに出られる。
川の流れがあるせいか、グラウンドはほんの少し涼しく感じた。
翌日も早朝から練習が待っているし、早く寝ておかないと体が持たない。グラウンドで軽くランニングをしたり体を動かせば、その内疲れて眠くなるだろうと俺たちは誰か言うともなく、グラウンドを走り始めた。
しかしただ黙々と走っているのもつまらない。
しばらくすると目が慣れてきて、グラウンドの様子が何となく分かるようになってきた。

「おい、つまらないから、サッカーやろうぜ」
「ボールは?」
「あそこに転がってる」
合宿で使用するボールは個人が持ち込んだモノで、皆それぞれ大切に扱っていた。勿論一人一個のボールで、グラウンドに置き忘れるなどあり得ないのだが、確かにグラウンドの中央にぽつんとボールが転がっているのが見えた。
「やろうやろう」

先輩の一人が率先してグラウンドの中央に駆けていく。たちまちボールの所にたどり着くと、ボールをちょこんちょこんと何度か小さく蹴った後、身を屈めてボールを見ている様子がシルエットで伺えた。彼はそのまましばらく動かない。
「あいつ何やってんだ?」
グラウンドのすぐ裏は宿泊施設だ。当然サッカーを教えてくれているコーチ達も一緒に泊まっていて、夜中に抜け出したことがバレれば叱られる結果となるのは分かっていた。だから大きな声は出せなかった。
しばらく放っておいたが、ボールを取りにいった先輩はなかなか動かない。
大声で呼び出すこともできず、俺達は3人固まって、彼の元へ向かった。

ゆっくりと走りながら彼を近付くと、彼は突然思い出したようにこちらへダッシュして来た。ボールは置き去りだ。
合流すると、彼は開口一番こう言った。
「おい、あのボール、おかしいんだよ!あのボール変なんだよ!」
「声デカいよ。何だよ?」
混乱しているらしい彼は、ワケの分からないことを言っていて、残る3人を連れ、宿に戻ろうとする。
「とにかく帰ろう。帰ろう」

ワケも分からず、俺達は彼に引っ張られるカタチで宿に戻された。
実はその後の詳細を覚えていない。ただ、そのボールを取りに行った先輩が、講堂とは別の、コーチ達が寝ている大部屋へ向かったことは覚えている。せっかくコーチ達に内緒で抜け出したのに、わざわざコーチを起こしてしまっては意味がないと、他の2人の先輩が止めたのだ。
しかし彼は強行にコーチの部屋へ向かった。2人は止めても無駄だと、そのまま彼を一人でコーチの部屋へ向かわせ自分達はタヌキネイリを決め込んだのだ。俺も起きているトコロを見られてコーチに叱られるのは御免だったので、右に倣った。

どれ程経ったか。講堂の外が騒々しかった。そうこうしている内、俺は本当に眠ってしまった。
翌朝、ボールを取りに行った先輩の姿はなかった。コーチからは、
「具合が悪くなったので、彼は帰った」
と発表があった。深夜だったが親元へ電話し、ハルバル彼の親にクルマで迎えに来させたらしい。
合宿が終わっても彼の姿は見られなかった。サッカークラブ自体を辞めてしまったのだ。

俺は気になった。あのボールが原因なのではないかと思った。しかし翌朝、グラウンドへ出た際には、ボールは見当たらなかった気がする。彼は何を見たのだろう。彼は6年生だったが、俺とは違う学校に通っていたので確認しようがなかった。
ただ彼と同じ学校に通う、サッカークラブメンバーの話によれば、彼は夏休みが開けても、学校自体に来なくなってしまったとのことである。
それきり、彼の話を聞くことはなかった。